こんなに辛いのは久しぶりである。


人と人が出合えば、いつかは別れが来る。それは理解している。


しかし、その中で一番悲しい別れがきてしまった。


過去のブログにも登場したことがある、私の正通訳「シュウちゃん」が病気で亡くなった。


享年32歳。独身。背が高く、すらっーとした細身の女性である。
















2010年11月


私の通訳として紹介された。うつむき加減に、小さくお辞儀をした。


メガネを掛けて、ちょっとキツメのインテリ風である。


1~2週間すると、慣れて来たのか、シュウちゃんから話てくれた。


「Sさん、このペンは、この会社で認められていないから使っちゃぁダメ!このペンを使って」と赤と黒、あと、いろんな蛍光ペンを用意してくれた。


「じゃあ、この使えないペンはどうするの?」と私。


「それは、日本のゴミだから、日本へ持って帰って!」とキツイ一言。


結局はゴミ箱へ捨ててくれる。その後も、ノートや、線引きなどを持って来てくれた。


俗にいう、世話好き女房なのである。










会議へ出席して、私が「何んていう意味?」って感じでキョロキョロすると、いつの間にか後ろの席へ座ってくれていて、そっと翻訳してくれた。


私が席を立つ度に、私の行先を見ていてくれたのだ。









ある会議に出席した時である。廊下を歩いていると、シュウちゃんも付いてきた。


私が、ほぼ最後の入室。私の隣の席が空いていた。シュウちゃんに「横へ座わんなっ」って声を掛けた。


シュウちゃんは、満面の笑みで横へ座った。


私の通訳である事が自慢であったらしい。その理由は、私の役職にあったと思うのだが、嬉しいことだ。
















2010年12月末


シュウちゃんが、病気で治療に専念する為、長期休暇を提出してきた。病名は、ガンである。

















6月7日(火)


シュウちゃんへメールをした。メールは、1~2ヶ月に1回している。



「調子は、どうですか?最近は、暑い日が続くから、体調を整えてね」



子分に、私の携帯電話から、中国語でメールを送信してもらった。



すると、すぐ返事が返ってきた。それも、ローマ字表示の日本語で。



彼女は、私が中国語が出来ないことをよーく理解している。



そして、メールは、子分が作っていることも。


彼女は、私と直接メールできるように、ローマ字で日本語を書いて送ってくれたのだ。



「最近、調子は良くないです。それより、Sさん(私)、そろそろ誕生日ですね。誕生会の写真をいっぱいブログへ載せて下さいね。」と返事がきた。



まず、私の誕生日をよく知っている。言ったことがあるかもしれなから、よく覚えていてくれた。



また、知らなかったが、子分の誰かが中国ブログをやっていて、それに色々な写真を載せているようである。



私は



「わかったよ。頼んでおくよ。じゃあ、12月のシュウちゃんの誕生日は、一緒に祝いましょう!」とメールをした。




すると



「約束ね!楽しみにしてるね」と返事がきた。



それが、最後のやり取りである。















6月18日(土)



職場の子分達が、私の誕生会を催してくれた。


私の性格上、人の為に何かをするのは問題ないのだが、自分の誕生会をやってもらうのは、とても恥ずかしく、照れてしまう。



よって、先月(5月)、もう一人の日本人が誕生会をやった後、誰かに私の誕生会を誘われたら、適当に断ろうとも思っていた。



しかし、シュウちゃんとの約束があったので、すごい恥ずかしかったが、遠慮せず開催してもらった。



また、誰かがデジカメを持って来てくれるだろうが、たくさん写真を載せてもらいたかったので、自らデジカメを持参して行った。

















6月19日(日)昼



翌日の6月20日(月)も休みであるが、会社へデジカメを持って行く事を忘れるのが心配で、早々に会社のカバンへデジカメを入れておいた。



シュウちゃんに、いっぱい写真を見てもらいたかった。



だって、約束したから。約束は守るためにあるんだし、きっと喜んでくれると思っていた。














6月19日(日)夜


日本人13人と、中国人1人で送別会を行った。近所の日本風居酒屋の店員さんである。



その娘は、少し日本語ができるので、私達が、そのお店に行くと、必ず私達の係りになってくれる。



その娘が、故郷へ帰るという理由からだ。



とてもお世話になったので、みんなで奮発して、四つ☆ホテルで、最高の料理を出してもらった。一般人では食べる事が出来ないような高級料理である。



ホテルのロビーで全員が揃うのを待っていると、中国の歌が流れていた。なんとなく聞いていたのだが、とても悲しくなった。その時、シュウちゃんを思い出したのをハッキリ覚えている。






















6月20日(月)



昼の12時。ゴルフを終えて、ロッカールームで着替えていると、携帯電話がなった。


携帯の表示を見ると、発信者は、我が子分シャオドン君からである。


「今日の午後、時間が空いていますか?」と聞いてきた。


理由は、18日の夜に、みんなで行ってくれた私の誕生会に出席できなかったので、今日、食事へ行きたいというのだ。


時間はあったが、家族もある方ですし、せっかくの休みを私の為に使わせるのは申し訳ないと思い、ちょっとウソを言って断わらせてもらった。


すると、もうひとつ、電話をした理由があるという。


「今日、シュウちゃんのお母さんから電話がありました。昨日(日曜日)の朝方、シュウちゃんが亡くなりました。」


私は、シュウちゃんのお母さんから電話があった、というフレーズを聞いてピンときていた。


もう、6か月の闘病生活をしている。ガンが転移している事も知っていた。


私は「シュウちゃんに会いたいから、今直ぐ、連れて行ってくれ」とお願いした。


「、、、、、、、、もう、お墓の中です」というシャオドン君に、


「じゃあ、今から、お墓へ連れて行ってくれ」とお願いした。


場所がわからないという。場所を聞いてくれと頼んだ。


いつもは、とても上手に日本語を話してくれるシャオドン君がたどたどしかった。


私が興奮して荒い言葉づかいだった為だろう。


電話の向こうで困っているシャオドン君がわかった。














6月21日(火)


会社でシャオドン君と話した。夕べも、シュウちゃんの親へ電話してくれたが、様々な理由でお寺へも行かせてもらえないとの事だった。





















シュウちゃんへ

短い間だったけど、本当にありがとね。写真は、ブログへ載せてもらう事にしたからね。