あれから10日。



問題の失言は全国に波及し、新聞の社説欄に取り上げられ、テレビでも連日の報道。






わが静岡県知事が、辞職願を出した。



今朝の新聞、静岡版。




知事は、昨日の会見で、細川ガラシャの辞世の句を引用したことで、また話題になった。

自らの【散り際】についての心境を、この短歌に託したようだ。








飼い主の素直な感想は。



「細川ガラシャは、最期に自決を選んだ人。

あの時代であれば、この世の我が身はここまでと【自分で決める】ことは、むしろ見事であるとされたかもしれない。



花は、美しく咲いてこそ、美しく散る。

そして散った後も美しく語り継がれるのでは。



今、桜の花が散る季節に、この歌を引用するのはちょうど良いのかもしれない。

知事は、長い県政の中での実績を自負する部分で、この歌を選んだと思いたいところだが。



自らの問題発言で、見方によっては【批判によって花びらをむしり取られて散らされた】ととらえることも不可能ではないが、それはあくまでも知事擁護。

一般的に言って、世間の嵐の前に【可抗力】で散ったということだろうな。

散る、というより、引き際をわきまえて責任を取る見解が含まれる歌を聞きたかったなあ。

だから、【散り際】というより【引き際】ではないだろうか。



静岡県民として、知事を追い出すわけじゃないんだ。

かりにも15年、県政を委ねた人。

悪いことばかりじゃない。

でも今回のことは、やむを得ない。

退陣を見送るしかない県民の気持ちを背に受けて、引いてもらうんだ。



あの細川ガラシャの歌は、花を静岡に置き換えてみれば、人は県民。

むしろ県民の気持ちを代弁したい歌のようだ。



いずれにしても‥‥」


 


戦国の

自決にたとえ

民に向く

花散る頃に

見送りし殿



花として

咲いてきてこそ

美しく

散るを許すや

細川ガラシャ