昨日とはうってかわり、朝起きたら周囲はうっすら雪化粧。




冷たい、冷たい雨だ。


先日はぼたん雪混じりで雨粒も雪も大きく、雪は積もらなかった。
今朝は細かい雪が雨の分量より多くて、短時間にそこら中を白く塗ってしまったが、じきに雨のほうが勝り、これは大して積もらないなという予想だ。





ドッグランにトイレに行く。
通り道にある、先代犬モンテのお墓も寒々としている。
モンテの命日は、半月前だった。





飼い主が言う。
「最近、モンテのお墓を忘れがちだ。
何も管理しなければ、この通りになってしまうんだわ。」




今朝の新聞記事で、こんなものを読んだせいか。




お墓には、様々な思いがある。
しかし、根底にあるものは、先祖代々のお墓がずっと続くということが急速に崩れてきた、現代の事情だ。


お墓を守りきれない。
維持管理していく人がいない。
子どもに迷惑をかけたくない。
自分は、海への散骨や樹木葬で。
お墓は、手間隙だけでなく、仕舞うにはお金がかかる。
大切な人を近くに感じられれば、場所や形式にこだわらない。


「どのように願っても計画しても。
昔のように、何の疑問もなく墓所や墓石といった堂々とした『物体』を後世に残す、という考えから離れてきている。
モノは、残れば問題も残すことがある。
お墓は、簡単に断捨離するわけにはいかないから、人として、きちんとした気持ちできちんとカタをつけることに向き合うことになる。


私は、どうするか。
住んでいる地区の共同墓地に、とりあえず○○家のお墓がある。
よくよく考えたら、あの墓地は、半世紀前の団地のように思えてくるなあ。 
墓地にも衰退ということがあるなんて、ちょっと前には考えもしなかった。


団地なら、まだリノベーションする手もあるが、いずれ老朽化。
取り壊すだろうな、廃墟になる前に。
墓地は、石は腐らなくても、本当の意味の
魂の廃居。

まあでも、こう言ってはナンだが、死んだもん勝ちに終わってしまっては、いけないんだ。」






飼い主は、これから美容院に行くところだ。


「ここ数年、ご近所で同年代の縁者が何人も亡くなった。
【その人たちのお墓があるから】、散歩コースに組み入れて、お線香をあげに行くこともあるわけだ。


一昨日が命日だった△△ちゃん。
私もすごい白髪になったよ。
生きてりゃ、そのうち入れ歯の心配もしなきゃならないだろうな。
死んじゃったら、もう歯医者や眼医者、美容院まで行かなくていいわけだ。
永遠に、医療費とかがかからない。
同時に楽しみのためのお金も、ってことなんだね、お墓に入るってことは。
その哀しさを埋めるものが、お墓という供養塔なのかも。
いや、だったのかも。


だからこそ。
私は死んだ後の形跡を、少しでも減らしたいと思うようになった。
供養塔があることが、中にいる者の悲しみを生き埋めにしてしまうみたいでさ。


ま、私の代までは、【普通に】お墓に入るだろうな。
墓誌に刻まれるのは、なんか、嫌だ。
その、なんか、っていうのが、お墓というものの過渡期を体感しつつあるからこそ、まだちょっとわからないんだ。」




雪は降る
美容院への
道白く
墓地にも白く
誰にも白く