飼い主は、芸能人に夢中になることはない。

ファンである人はいるが、【推し】ということもしない。

誰々が結婚したとか亡くなったなどの報道に、感情を揺さぶられることもあまりない。



そんな飼い主が、八代亜紀さんの訃報には、気持ちを立ち止まらせていた。





「この人、可愛い人だったなあ。
一言で言うと。
73歳って、私より少し年上なだけだったんだね。


私は、若い頃カラオケに行くと、よく八代亜紀の歌を歌った。
特に【氷雨】、私の十八番。
【雨の慕情】も、好きだった。
聞くほうがいいなと思ったのは、【舟唄】。


八代亜紀、いなくなっちゃったんだ‥‥。


寂しく思うのは、私が昭和の人間だからかなあ。
昭和という時代を過ごしたのは、約30年間。
その後の時代の方が、長いんだけどね。
昭和って、すごく濃い時代だった。
今にして思えば、自分が未熟だった時代だからかね。
いや、季節で言えば人生の夏だった時代だからかね。
歌の歌詞ひとつが、心に染みたり刺さったり。
あの頃のアルバムを開いたら、あの頃の歌も、思い出したりするよ。


八代亜紀に限らず、自分がずっと持って残っている歌の人。
昭和の歌手が次々に亡くなる。
私の昭和の生活に寄り添っていた歌を歌った人たちが。
あの時代を知る同年代の代表として、お手本みたいに去っていくよ。
みんな病気になってさ。
二回年号が変わり、昭和生まれの人は減っていく。
いつか自分も、と思う。
少しずつ、そして確実に時代が閉じられてゆく。


私はお酒が飲めないから、味わい尽くせない歌も多いけど、昭和を共有できただけはよかった。
お洒落なバールじゃなくて、居酒屋とかスナック。
雰囲気は暗め。
今は、歌までLEDだと思うわ。
電子音や、スピード感はあまりなくて、ゆったり目のメロディーで、歌詞がちゃんと聞き取れる。
カタカナ豊富な歌詞じゃなくて、ありきたりの日本語。


それらを、八代亜紀のあのちょっとハスキーな声で聞いたんだよねえ。
最初は、ミスマッチでは?なんて思ったけど、クリアな声でないことが、かえって余韻が深まったというか。


八代亜紀といえば。
能登半島の地震があったから、余計に忘れがたい。
舟唄の【場所】は、やっぱり能登のイメージだと私は思ってしまうね。
その前の熊本地震で、八代亜紀がその故郷を慰問したよね。
わずか数年前のこと。


そうそう、八代亜紀は、油絵の才能がすごくて。
それも、私が彼女にひかれる理由かな。
まだ歌いたい歌だけじゃなくて、描きたい絵があっただろうにね。


あー、私がお酒が飲めたら。
一晩くらい、思い切り‥‥」




思い切り
昭和をついだ
コップ手に
ちびちび語る
「氷雨」の人を




ご冥福を、お祈りしましょう。