はじめに断っておくが、「草饅頭」ではなくて、「草のお饅頭」だからね。



昨日の夕方のこと。
5時半を回って、散歩には嬉しい涼しい風が吹いていた。
ボクは、今はまだ晩夏で、初秋にはもう少しかなあ、と思いながら歩いていた。
あちこちの草地は、全体的に疲れて、夏の終わりを告げたがっていた。





途中、視界が開けたところで、彼方に「草のお饅頭」を発見。


飼い主が、足を止める。


「今日、この芝畑を所有する人が、きっと日中頑張って芝刈りをしたんだ。
手前のあたり、色の違う草の筋が見えるだろう。
直線で4本くらい。
あれは、芝刈機で芝草を刈り取ると、刈った葉が撒かれてしまうからなんだ。
芝刈機が通った跡、ということ。


あの芝草の【筋】は、薄い方だ。
あまり草が伸びないうちに、刈り取ったんだろう。
だから、あんなふうに残っている。
ニラみたいに長くなってしまってからでは、刈り取った後にたまる草の量が多くて、【筋】はもっと太くカサが高くなる。
それでは、片付けるのが大変だ。


ここ数日は、夕立がなかったから、草も乾いていて軽い、片付けも楽だろう。
色々考えた上でやるんだよなあ、農作業は。


芝刈りは、普通の草刈り機なんかじゃ、まず無理だろう。
芝刈機がないと。
この様子だと、おそらく一人で刈って、一人で片付けるんだろうな。


一直線に残された刈草を、適当な間隔で山にしてまとめてあるのは、手作業だ。
あの、草のお饅頭のこと。
ウチもそうだったが、熊手で掃き集めて、ああいう小山にしておく。


こう見えても、私も若い頃は、そこだけはよく手伝ったものだよ。
爺様が芝刈りをしたら、私は指にバンドエイドを巻いて‥‥熊手を使いすぎると、指の皮がむけるから、前もって‥‥その上に、軍手をはめる。
そして熊手で、落とされた刈草を集めていく。
作業としては、ただ掃き集めるということだから、単調な軽作業なんだが、もちろん楽しくなんかない。
とにかく広くて嫌になったわ。


やがて畑に、草のお饅頭が点在してくる。
それを、ブルーシートで回収にまわる。
シートの上に集めて、重いのを引きずって行って畑のすみに捨てたり、あるいは軽トラに積み替えて運んで、芝草を野菜の保護に使いたい畑とかお茶畑なんかに使う。


あの、お饅頭にしてある人は、今どき頑張るなあ。
この後きちんと片付けて、芝畑全体をきれいにすると思われるから。
そこまで手が回らなくて、刈りっぱなしの家も多いんだ。
今は、芝を売る家もないから、ただ伸びた草を刈っているだけ。
それだけだって、大変な管理なんだよ。」


ボクんちは、数少ない芝生産農家、ということですか?


「芝を育てて売る、という意味ではね。
芝畑自体は、かなり縮小した。
夫が頑張って続けているが、夏は芝刈りを何度もしなければならないから、本当に大変だ。


それでもウチは、広い畑だけは、刈り取った草を手作業で集めなくなったから、そこは大いに楽になった。
芝作りをやめた親戚のおじさんが、大きなトラクターみたいな機械で、草の山を寄せて片付けてくれるから。
午前中に夫が刈れば、おじさんが午後トラクターで来てくれる。
だから、何とかやっていけているんだ。
爺様が亡くなってからひところは、夫一人で全てをやったから、何日もかかった。
会社員であるかたわら、だからね。


私は、とっくに手伝いはやめている。
学校に勤めだしてからは、ほとんど手伝わなかった。
そのうち年取って、さらに手伝わなくなり。
一切あてにされなくなり。
私はもうやりませんよ、と宣言するくらいエラくなり。ぼけー


ただ、芝刈りの大変さだけはわかるから、夫が炎天下で芝刈りをするなんて日には、3時にアイスを届けたりするわけ。
私にできるの唯一のこと。」





ボクたちは、この広い芝畑の反対側にさしかかり。
草のお饅頭を眺める。


「ブルーシートに、お饅頭5つくらい乗せられたら、捨てる作業は5往復か。
でも、畑の半分しか刈ってないから、続きはまたいつかやるんだろうな。」






なるほど。
草のお饅頭には、畑を管理する人の気持ちを煮詰めた餡が、詰まっているのですね。
芝畑だけでなく、色々な畑を持つ人々の労働の価値は、貴いものです。
ボクは、つくづくそう思いました。