映画で描かれているのは、ほんの一部。
絶え間なく続く日常の断片でしかない。


それでも胸に迫るものは大きくて。


実際に二人が過ごした365日、
12年間という月日。


その間の心情や
心身にのしかかる負担の大きさは、
想像ではまかなえない。


家族や友人のみならず、

寄り添い、
手を差し伸べてくれる
周囲の人たちの心ある温かさ。


愛情も優しさも
出し惜しみなく分け与えてきたであろう
お二人のこれまでの人生が表れているようで
そのお人柄に畏敬の念すら覚える。



『限りのない優しさを注ぎ続けること』。


フィクションであったなら
綺麗事にしか聞こえなかったかもしれない。


幾度となく見聞きしていた
介護をめぐる事件や介護現場が抱える問題。


それらの『現実』は
いつしか心に暗い影を落とし、

『介護』というものに対して
暗く、ネガティブな印象を
植え付けられていた気がする。


慣れない世話。

思い通りにいかない歯がゆさ。

忙しさ、焦り。

やり場のない、イライラ、不安…


心の余裕を無くした時こそ
人の心に刃を向けるのは簡単で、

それは同時に
自分の心をも突き刺し、
同じ深さで自身を傷つけているはずなのに、

自己嫌悪に陥りながらも
更に追い詰められて、また…

そんな負のスパイラルが
容易に想像できてしまうような状況。



そんな中で誠吾さんが起こしたのは
真逆の反応で。



八重子さんに与え続けた無償の愛は
優しさの波紋となって
徐々に周囲へと伝播していく。


その心が
いくつもの温かい心を呼び寄せ、

孤独になりがちな介護から
誠吾さんを救い、


結果、
自分の投げ掛けた優しさによって
誠吾さん自身もまた、
助けられ、癒されていたように思える。



『情けは人のためならず』


いろんな意味で
そんな言葉がしっくりときた。



限りないやさしさが、愛が、
現実に、あった。


それを貫いた人が、
現実に、いた。


そう思うだけで、

何かが変わる。


それを知っているということは、

この先の未来で
何かを変える力となってくれる。


自分が
同じような状況に直面した時、

たとえ
誠吾さんのようにはなれない
現実であったとしても

きっと、脳裏を過る。


浮かび上がる
1シーン、1シーンが

道標となってくれるかもしれない。