その時の状況は今でも良く覚えていますね。
もちろん、被害にあったとかそういう訳では無いけれど。
何か変に力強い揺れを感じて、しかもそれが長時間にわたって揺さぶるように…… 。
TVは付けてたかどうか忘れましたが、
「ミヤネ屋 」が放送してました。
そして衝撃的な映像が流れる 。
「3.11 さんてんいちいち」 この言葉を聞くだけでも、
何か、気持ちが揺さぶられて、
今日のミヤネ屋でも、あの時と変わらない感情がよみがえってきて、何ともやるせないです。
先の見えない復興の現場、地元の人達のどうすればよいのか分からない苛立ち。
正直言えば、被災者の多くは、「もう自分たちの生まれた土地を捨ててもいいから、
忘れて1から出直したい。
とそう言う意見もあって、
時間が経ったことで意識も少なかれ変化してきてるようにも思えましたね。
絶対にいつかは戻りたい …… でも今は戻れないから、暫し忘れて過ごしたい。
それが、本音なのかもな、と観ていて感じました。
自分たちの生まれた土地を離れて、違う所へうつっても、やっぱり忘れる事は絶対に出来ない …… 。
それが、故郷というものでしょうね。
「 マイ・ホームタウン」
僕は8歳だった、10セントを手に持って
親父の使いで新聞を買いに、バスストップへ走った
親父のビュイックに乗せてもらったものだ
親父のひざの上でハンドルを握り、
一緒にドライブした
親父は俺の頭を手荒くなでながら言った
良く見ておくんだ、これがおまえのホームタウン
これがおまえのホームタウン
これがおまえのホームタウン
これがおまえのホームタウン
65年、俺の行っていた高校で、緊張が高まり
黒人と白人の間にケンカが絶えなかった
どうする事も出来なかった
ある土曜の晩、信号で二台の車が止まった
バックシートにはショットガン
言い争いの最中に、ショットガンが火を吹いた
苦しい時代がやってきた、俺のホームタウンに
俺のホームタウン
俺のホームタウン
俺のホームタウンに …… ……

大通りの建物の窓には水しっくいが塗られ
店は閉じられ、誰もいない
もう誰もここへはやって来ない
線路の向こうの織物工場も閉鎖される
工場長が言う、この仕事はどこかへ行き、戻ってこない、
「おまえたちのホームタウンには 」
おまえたちのホームタウン
おまえたちのホームタウン
おまえたちのホームタウンには
昨夜、俺とケイトはべットの中で、この町を出て行く話をした
荷物をまとめて、南部へでも行こうか
俺は35歳で、息子が1人いる
昨夜、俺はハンドルの後に息子をすわらせて言った、
よく見ておくんだ
これがおまえのホームタウン
これがおまえのホームタウン
これがおまえのホームタウン
MY HOMETOWN
___ BRUCE SPRINGSTEEN
http://youtu.be/31Qbx9oo-Ac

も家電の中に含めさせて貰います。 )
基内臓
」
