阪神淡路大震災から30年目の節目に考える
1月17日、阪神淡路大震災から30年が経ちました。
翌18日、立命館大学の土曜講座で「阪神淡路大震災から30年目の節目に考える」と題した講演会がありZOOMで聞きました。
(以下は、筆者の責任で要約しています)
まず、発災当時の対応について話されました。5時46分に地震があり、第1回目の県の災害対策会議が行われたのが8時半、21人のメンバー中5人しか出席できなかったとのことです。その時集まった情報は不明情報ばかり。当時の情報集約システムは市町村から県、県から国へというものでしたが、電話不通で数少ない情報も集まらなかったのでした。
警察は、本部建て替え中であったとのこと。通信拠点になるはずだったポートアイランド自体が被害を受けたことで初動が遅れ、また、交番自体が被害にも会いました。町の状況把握作業の途中で救助要請あると救助せざるをえず、状況把握が遅れました。上部は、「情報が上がってこない」とイライラしていたようですが、情報がないこと自体が重要な情報であるという認識をもつべきだったと思います。大雑把な情報で初期はよいと割り切った方がよく、「きちんと報告しなければ」という日本人らしい習性が弱点になった面かもしれません。
消防は119がすべてふさがる状態でした。17日だけでなく、18、19日も火災がおきました。一旦、停電になり、その後の通電で暖房機に火がともり、火災につながった例もあります。ガスやブレーカーを落として避難したした人は5割だったとのことです。
医療は、知られている通り、初期救助が大切で、72時間が生死の分かれ目と言われます。当日に運ばれた方は7割生存だが、その後は生存率が急激に低下しました。医療が受けられず亡くなる方も多かったといいます。今では、がれき医療といって、医師ががれきの中に入っていくという訓練も始まっています。
運ばれた患者を重症度に合わせて分けるトリアージ機能。言うのは簡単ですが、これはもともと、戦士が怪我を負い、再び戦場に向かわせるための選別機能なので、ちょっと視点が違います。まだまだ課題が多いです。
こういった教訓をもとに備えてはいますが、いざ次の大きな災害があれば、公に頼りづらいことには変わりはありません。心構えとしては、どうしても、自助、共助を強化しておかなければならないと思います。
今後に向けた、取り組み事例の紹介もありました。高知県室戸市では、まず、地図上でシュミレーションをゲーム形式でやるとのこと。マップの上に透明シートを張り、その上から、文化財、水場、安全場所、福祉施設に色分けしたシールを貼ります。火災想定の場所を仮に決め、そこで起きた時に、どこから水を引っ張り、消火活動するか等の議論を行います。消防車が入りにくい、違法駐車があるからだ等の情報をもとに、ふだんからどうしようかを考えます。更に消火出来ない時の避難経路、避難場所と議論を進めていきます。その際に、要援護者の救助はどうするかという点についても考えていきます。
そのようなワークを経て、別日に実地訓練を行い、考えたことが本当に使えるか検証し、また、次のワークにつなけるという流れを作ります。ただ、これも何度もやるうちに「飽き」が出てきます。
日中での被災に備えて、女性や消防団OBで初期消火する訓練、婦人防火クラブ結成などなど。運動会の種目で、ホースで水を出して的当て等の消火を想定した種目や担架で人を運ぶ種目をするなどの工夫も紹介されました。
京都は観光客さんも多いので観光ガイドに防災情報を載せてはどうか、観光地で着付けする美容院等に防災拠点となってもらえないか等々のアイデアも紹介されていました。
いずれにしても、プロセスの反復、継続できるように、まじめに楽しむ防災へと、ふだんの生活に溶け込ませることを提案されていました。
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