幸せって何だろう?
不登校ひきこもりの人は何を望んでいるんだろう?
『目の前の事』に着目してみたいと思う。
例えば学校仕事に行かないから将来を案じて行きなさいと言う事で行けるようになるのだろうか。
僕は学校に行けなかった。
そこに行く理由が僕の中で作られていなかったから。
行きなさいと言われると『学校に行かなきゃ』という気持ちもあったりはしたが、言われる度に『苦しい』と気持ちになった。
勉強する意味も分からない…
会いたい友達も居ない…
大人達がくれる言葉は納得出来る言葉ではなく、表面的な言葉だけだった。
自分自身ですら何をどうしたらいいのか分からなくて、大人達は今頑張れば未来は良いものとなると伝えてはくれるのだが、そんな先の事なんか分かるはずもない。
大人達は答えをくれるんだけど、そこに到達する自分の方程式が築けずにいた。
どう生きればいいのだろうと…
寄り添ってくれる人がいれば変わっていたのかもしれない。
時間を割いてまで自分の話を聞いてくれる人が居なかった。
ちょっとした報告に『そうなんだ〜』『良かったね』と自分の事のように喜んでくれたりする反応が欲しかったのかも。同じ言葉でも素っ気ない対応されると心が満たされない気持ちになる。
そんな事当たり前と返されると徐々にちょっとした気持ちでさえ伝えられなくなる。
オチのない言葉には伝えたい気持ちというのがあったりもするんだと思う。
大人達は今までの経験があるから近道を教えたがったりしますが、不登校ひきこもりの人はそんな事が欲しかったりするのではないんです。
今の目の前の『楽しい』『嬉しい』とかいう感情が欲しかったりするんです。
僕ら大人はちゃんと子供達と向き会えているのでしょうか。大人が勝手に結論を作り出してはいないでしょうか。
なぜ子供達がそう言ってくるかには子供達なりの理由があるはずです。大人達の答えがほしいのではなくちゃんと言葉を受け止めてほしかったりするんです。
その答えが分からなくてもいいんです。
向き合って一緒になって考えてあげるだけでも、子供達は言います。
『受け止めてくれてありがとう』と…








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