福岡の公園で小1の男の子が母親に殺害された事件。
母親を疑ってしまっていた私…それが当たってますます悲しく思っています。。。

この子は特別支援学級に通う子供だったそうです。
極一般的な育児でも迷う事、悩む事はいっぱいあると思います。
私もGの事で悩みながらこれは普通の育児でもあり得ることか?…と考えてみてそうだわね…と思えると
気が楽になり、逆に障がいがあるから!…と思い始めると何でこんなことになったのか…と考えても仕方の
ないところまで考えてしまったりします。

G自身から出て来ることだけで親の悩みはめいっぱい。
怒ることに対して堪忍袋というのがあるならば悩み袋は常にパンパン。
だから他から湧いて出ると即!限界に達してしまったりします。
今回も学校から理解に苦しむ提案とその後の発言で私ひとりが抱えられる悩み袋と堪忍袋はヒドイ状態で
した。
精神的に限界になっている時にGがいつもはさっさとやる事に駄々をこねたり、いつもに輪をかけてうるさ
かったりすると人間が出来ていない私はやっぱり悲観してしまったりするわけです。

障がいがある子供を持ったことがない人には障がいがある子を持つ親の心を知るのは想像の範囲でしかない…
これは事実ですよね。
けれど想像し更にそれ以上のものを常に心に抱いていると思って下さったらきっと当たりです。

福岡のこの親子とその周囲との間で悩むような事があったかどうかはわかりません。
子供の障がいと自身の病気でこの先を悲観してのことだそうです。
母親の病気は分かりませんがでも小1のその子はなんとかなったのに。。。
ただ、そう思わせてくれる力強い社会は確かに存在しませんね。。。

私がブログを始めた理由のひとつが障がい児の親が1点をじーっと見つめてくっそマジメに日々を送るの
ではなく極普通に色んな事を感じて楽しんでも良いんじゃない!と思ったから。
このブログを通して知り合った人たちと語り合いたいなぁ~と思ったからなんです。
障がいを持った親御さんとはあまりたくさんは出会えていませんがこれからもこのブログを続けていたら
『障がい児の母親にこんなテキトウなのがいる』 って見つけてもらえるかな?

この家族なんて父親がGのこと、何にも知らないんだよ。
私に切羽詰った病気はないけれど事故にでもあったらGに誰が食事を?誰がお風呂に??
誰が学校に通わせてくれるの?
障がいGとふたり暮らし。
私が倒れても電話も掛けられない、ドアを開けて外にも出られない、喉が渇いてもお水も飲めない…
そんなGはどうなるの?
悲観の材料なんて山ほどあるんだから。

みんな、悲観するときはある。
絶対ある。
障がい児が居ようと居まいと。

でも行き詰ったら深呼吸をしよう。
1点を見つめないで周りをみよう。
頑張るんじゃなくて力を抜こう。
すぐには見えてこなくてもこの先はきっとある。
もう終わりだと自分で終わりを作るのはやめよう。
ね。。。