『文筆の才能その8・あれこれの才能-264』(2019年3月5日)
<2019年3月2日(土)晴れ
朝、遮光カーテンとレールの僅かな隙間から、黄色い陽光が窺われ、今日は天気なのを知る。起きて顔を洗い、神棚の水を替え、お茶を飲みながらネットのニュース記事を読む。何気なく窓辺に目をやると、窓枠と半開きのレースカーテンのフレームに、てふてふ、てふてふ(擬音:ちょうとは読まず文字通りに読む)と今季初めて見る蝶が舞い込んできた。目を凝らすと、それは鮮やかな黄色・・・・・・>
春の陽気に誘われて、中型の蝶が一匹現れ、目の前をゆっくりと通る。そこは道路に沿った建物の植樹された外構だが、生憎(あいにく)草花はない。それでも全速力で通過するには誘惑が多いようで、吟味しながら飛んでいる。羽ばたきがゆっくりで、羽根を打ち下ろすとき胴体は上がり、羽根を引き上げるとき胴体は下がる。その様は「てふてふ」と言う擬態音(オノマトペ)がピタリと嵌まる。それで古の日本人はその生物を「てふてふ」と呼んだのだろうが、文字に記すと発音は時代と共に「てうてう」「ちょうちょう」と変化する。今では断り書きの無い限り「ちょうちょう」と読む。
詩人の萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)は、この断り書きを入れた作品『恐ろしく憂鬱なる』がある。
こちらの蝶は一匹ではなく、照葉樹の森の木立の中で一面に白い蝶類が群がり飛んでいる。その蠢(うごめ)く塊(かたまり)は女体の悩ましさ。「てふ、てふ、てふ、てふ」個々の羽ばたきが、漣(さざなみ)が波となりうねりとなるように、合従連衡(がっしょうれんこう)して艶(なま)めく女体となる。
萩原朔太郎
・無意識レベルのカルマ
1886年11月1日ー9(神的レベル)
1901年12月24日ー8
1909年12月24日ー7
1933年12月24日ー6
1941年12月24日ー5
・愛(隣人愛・自己愛・夫婦愛・全生命への愛・神への愛)
1942年5月11日ー9(人間レベル)・8・9・9・9
・自己愛
1886年11月1日(0歳)ー4(人間レベル)
1898年12月24日(12歳)ー5
1900年12月24日(14歳)ー6
1934年12月24日(48歳)ー7
1937年12月24日(51歳)ー8
・文筆の才能
1942年5月11日ー7(神的レベル)
・容貌
1886年11月01日(0歳)ー3(人間レベル)
1900年12月24日(14歳)ー4
1937年12月24日(51歳)ー5
・独り善がりー2(動物レベル)
・向上心ー7(人間レベル)
・意識の進化段階ー0.3(第1システム国津神第5レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満55歳)ー60歳 →IQ109(平均)
『詩人を見る-149』(2017年1月26日)で見たように、詩人の愛のレベルは誰も高いが、萩原朔太郎も例に洩れない。
愛が人間レベル8以上になると、愛の輝きが内部から射すようになるが、これが見られるのも、やはり愛が人間レベル8以上の人に限る。
萩原朔太郎の死亡日の愛の五相のうち、他より1ランク低い自己愛に絞って一生の変化を見ると、その上昇につれ同様に容貌も上昇しており、自己愛が人間レベル8に達した時点で、人間レベル4の衆に秀でたものが人間レベル5の比類なき容貌にランクアップしている。愛を高めることが容貌まで高めることになる。逆に、容貌を高めることによって愛も高まるものである。
三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」
<私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考へるが、もしかすると私は詩そのものなのかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから>
Wikipediaによれば、
「『仮面の告白』を起筆した日は、1948年(昭和23年)11月25日である」
この22年後の1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫(みしまゆきお)と森田必勝(もりたまさかつ)ら楯の会会員4名は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を訪問後、籠城し、バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をするが失敗に帰し、直後に三島と森田は割腹、介錯される三島事件がある。因みに、三島の年齢は昭和の年号に一致する。
当時、私は中学1年生で、学校の昼休みを終え午後の始業のチャイムが鳴っているとき、擦れ違う部活動の担当教師から「三島由紀夫が割腹したぞ」と聞かされるものの、馴染みのない小説家だったし、割腹も初めて聞く言葉で聞き返し切腹のことと分かっても、まだ切腹などするのかと大時代(おおじだい)な感じがしたものである。
森田以外の3名に渡した三島の“命令書”なるものがある。その中に以下の文がある。
「森田必勝の自刃は自ら進んで楯の会全会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範をたれて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむる凛烈の行為である。
三島はともあれ森田の精神を後世に向かつて恢弘せよ」
森田は三島の介錯を3回失敗して自分の介錯役の古賀浩靖(こがひろやす)に託すが、次に自身の切腹を控えていたのでは致し方ないと言えよう。三島は声を挙げないように舌を噛み締めている。これは切腹の心得の一つとされているそうな。
事件から14年近く経った1984年11月9日、『フライデー』創刊号に三島の生首の写真が掲載される。翌年5月に私は初めての入院生活を送る中で、病院の雑誌ストックの中にそれを見つけ閲覧する。目を瞑り上下の前歯に僅かな隙間の開く生首が、耳下腺蜂窩織炎(じかせんほうかしきえん)による開口障害で上下の前歯が数ミリほどしか開かない自分と妙に合致するのを感じたものである。
三島が「行動の知恵と決意がおのづと逆説を生んでゆく、類のないふしぎな道徳書」と言う『葉隠(はがくれ)』、Wikipediaによれば「江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基が筆録しまとめた」もの、これの三島の評論・随筆『葉隠入門』1967年(昭和42年)刊において以下のように言う。
<「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを「葉隠」は主張 してゐる。われわれはけふ死ぬと思つって仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない>
三島の死への傾倒・讃美が窺われる。
三島は初等科の頃、虚弱体質で主治医から日光に当たることを禁じられ色が青白く、渾名が「アオジロ」だったように、肉体の劣等感はどうしても否めないが、徴兵検査を第二乙種合格し死の覚悟もして応召する入隊検査で、折悪しく気管支炎による眩暈や高熱の症状が肺湿潤と診断され即日帰郷となり、肉体の劣等感は確実のものとなると共に、死からの疎外感が新たに加わりやがて死への傾倒が始まる。
森田必勝(割腹)
・無意識レベルのカルマ
1970年11月25日ー9(人間レベル)
1970年11月26日ー-3(神的レベル)
古賀浩靖(2人の介錯)
・無意識レベルのカルマ
1970年11月25日ー9(神的レベル)
1970年11月26日ー7
割腹した森田のカルマは、死亡した翌日1ランク軽くなっている。
三島と森田を介錯した古賀のカルマは2ランク重くなっている。
自殺者のカルマは変わらないものだが、介錯される割腹自殺は介錯人に殺されたことになる。自殺幇助した者もカルマは重くなる。
三島由紀夫
・無意識レベルのカルマ
1925年01月14日(0歳)ー9(神的レベル)
1948年7月31日(23歳)ー8(人間レベル)
1955年7月31日(30歳)ー-1
1962年7月31日(37歳)ー7(動物レベル)
1969年7月31日(44歳)ー1
1970年11月26日(45歳)ー2
・愛
1970年11月25日ー1(動物レベル)・1・1・1・0
・神への愛
1925年01月14日(0歳)ー9(動物レベル)
1948年7月31日(23歳)ー9
1955年7月31日(30歳)ー-2(人間レベル)
1962年7月31日(37歳)ー6(動物レベル)
1969年7月31日(44歳)ー0
・文筆の才能
1970年11月25日ー6(神的レベル)
・独り善がりー2(動物レベル)
・向上心ー8(人間レベル)
・意識の進化段階ー3.9(第1システム国津神第3レベル)
・モナドの存在位置ー同上
・精神年齢(満45)ー57歳 →IQ127(高い)
・作品の波動
『豊饒の海』(新潮 1965年9月-1971年1月)ー9(人間レベル)
『葉隠入門』(光文社 1967年9月)ー8
『剣』(新潮 1963年10月)ー8
『金閣寺』(新潮 1956年1月-10月)ー7
『仮面の告白』(書き下ろし/河出書房 1949年7月)ー5
私が三島由紀夫の作品を読んだのは、中学3年生の春に中学校全体で読書感想文を書く行事があったから、三島を読もうと学校の図書室で短編を探すと『剣』が目に留まる。1970年から1972年まで週刊少年マガジンで連載された『ワル』の主人公高校2年生の氷室洋二(ひむろようじ)が剣の達人だったこともある。高校に入っても剣道部の人気が高かったが、この影響も大いにあったことだろう。次にはブルースリーの人気の波が訪れる。
『剣』の主人公は、大学剣道部の主将国分次郎、強く正しく生きる純一な精神で、先の強いだけの氷室とは徳の差がある。
次郎に憧れるのは1年生の剣道部員壬生。私には壬生の一途な気持ちはよく分かるからそれを書いたが、国語科の教師に大人になれば分かる気持ちが壬生にあることを仄めかされる。同性愛のことを言っているのだろうが、この作品の何処を読んだらそう思えるのか。大方『仮面の告白』で男色を告白しているのが唯一の根拠だろう。フィクションを事実と見紛う力量の乏しさを言うべきか、はたまた事実と見紛うフィクションの力量を褒めるべきか。
それにしても、理解し難いのは次郎の死である。部員に裏切られたのに、部員のために諫死を選ぶだろうか。私にはどうしても三島の肉体の劣等感及び死からの疎外感が、頭に浮かんで来て仕方がない。
三島は1955年(昭和30年)にボディービルを始めて肉体改造に励み、1960年代に入ると空手と次いで剣道を鍛錬するようになり、少なくとも肉体の劣等感は克服したように思えるものの、肉体の横溢は逆説的に死への傾倒を強めることになる。三島の五行類型論の体型を見ても、5型はなく肉体の鍛錬が適しているとは言えないし、激しいものになればなるほど返って生より死へ近づく虞がある。一般的に過度な運動は健康を害するが、鍛錬が適さない肉体に動かす為ではない見映えの良い筋肉を貼り付ければ、自ずと生の横溢から遠ざかり死の淵へ近づき嵌まり易いと言うものである。
三島は自分を詩人と考えているが、愛は高くなく、詩人とは呼べない。だが、事件当日に第4巻『天人五衰』最終稿を手渡した『豊饒の海』の作品の波動が人間レベル9で有終の美を飾っている。