夫の生まれ育ったのは、徳之島…
鹿児島県の本土より沖縄に近く
独特の方言も沖縄に近いと夫は言ってました。
私は何を言ってるのかさっぱり分からないので
どこに近いとも言えません(笑)
育ちが沖縄に近いくらい南の島なので
夫は暑さには強く、
真夏でも昼間は扇風機すらいらない人でした。
さすがに熱帯夜の大阪なので寝る時だけは
クーラーはつけてましたけど…
ところが暑さに強い夫は
元気な時は冬の寒さも平気でした。
生きていれば今までの寒さくらいなら
朝刊も薄手のジャンパーで行ってたでしょうね。
ストーブもエアコンも、ホットカーペットも
何にも無し(笑)
コタツの中に毛布を入れてるだけでした、
勿論電源なんて入ってません
これはきっと仕事で鍛えられたのでしょうね
えっ!どこで??
中央市場北部市場、
青果と冷凍魚を扱う市場で
夫は働いていました。
人が入れる大きな冷凍倉庫、
マイナス30℃だそうです。
夫はトラックからリフトで倉庫まで荷物を運び
大きなマグロやタコの入った箱を
マイナス30℃の冷凍倉庫へ
手際よく運び込んで行ってたそうです。
市場が開くと仲買人さん達の注文を受けて
倉庫から荷物を運び出す仕事。
極寒の地を思わす気温ですよね、ー30℃なんて…
倉庫の中へ放り込んだマグロたちを整理すると
どんなに防寒着を着ていても
長くは居られないそうです。
真夏でも外ではストーブを焚き、
手を温めていたそうですが
あまりに冷たいので手を近づけすぎて
手袋をよく焦がして来てました。
真夏でも防寒着を着てましたからね
洗濯物を干していて変な感じでしたね。
でも、こんなのを着なければならないほどの
寒さの中で仕事をしてくれてる夫に
私はただ感謝することしか出来ませんでした。
前の会社の倒産で
44才で仕事を探すのは大変でした。
耳が悪いのも印象がよくないのですよね、
探して探してやっと見つけたのが
夜勤でー30℃の倉庫の中での仕事、
家族が食べていくのに必要最低限のお給料を
出してくれる会社すらろくに無かったのです。
辛い仕事を頑張ってくれた夫、
もう身体もボロボロになって
末娘が学校を卒業した年に
やっと仕事をやめたのでした。
私は毎日夫にマッサージをするくらいしか
出来なかった…
あの時は夫も辛そうだったなぁ
なんだか泣けてきました…