祖父はいよいよ目を離せなくなって来ました。
一度母と二人で外へ出て行き、すぐに帰ったと思うのですが、鍵を開けて家へ入ると長靴を履いたオムツ姿の祖父が上がり口に座っていました。

立つ事が出来なかったので、座ったままでしたが、もし鍵を開けて座ったまま外へ出ていたらと思い、放って置くわけにいかないと母と言っていました。

何か話そうとしても意味は通じないし、少しでも目を離すと何をするかわからない、祖父が何かしくじるとパニックになる母、私は2学期になってからは1日学校へ行っては1日休む、という事をくり返していました。

担任の先生にも事情を説明しました。
祖父がボケて目を離せないこと、肉体的にも精神的にも母一人では介護は無理だという事を。

毎日、おむつ交換から食事の世話、おむつや祖父の汚したものの洗濯、入浴、どれ一つとっても今の時代と違い便利な物は何もありません。

母はよく言ってました、1日で良いからおじいちゃん預かってくれる所があったらなあって。

デイサービスもショートステイも無い時代、たとえ1日でもと言うのは、介護するものの悲痛な願いでした。

母にとって祖父の介護がどれ程精神を痛めつけたか、昔からの祖父の仕打ちを恨んでた母には耐えられないものだったと思います。

一円のお金も無く転がり込まれ、愛情のかけらも無い親の介護、私がいくら手伝っても母の苦しみは無くなる事はありませんでした。

祖父は初めておかしくなった時から半年後の10月10日当時の、体育の日になくなりました。

朝早く起きると祖父は冷たくなっており、母はS医院へ先生を呼びに行き、私は電話の無かった姉の家まで歩いて20分はかかる所を、必死で走って行ったのを覚えています。

母は今90才です。
目が殆ど見えないので、障害枠でヘルパーさんが来てくれます。足も人工関節なので介護保険で別枠でヘルパーさんや訪問マッサージ、デイサービスなど使えます。

介護制度のお世話になり、私は何もしなくても母は自由にあちこち行く事が出来、有り難いことだと感謝しています。