前にも書いたが、スポーツとは、健全なものであり、自己を磨き、お互いを高め合うものであり、


勝負であるけれど、決して、お互いを傷つけ合ってはいけないものである。



そういう意味では、格闘技というスポーツは存在できないのかもしれない。




結論から言うと、プロレスとは、格闘技の本質の精神を継承したスポーツなのである。


筋書きがある事でスポーツとして存在し、かつ精神は、格闘技の本質を受け継いでいるのである。



あの、プロレス道場で厳しい鍛練は、格闘技の本質の極限の肉体の追求であり、

あの普通の格闘では、考えられない大技のブレーンバスターや、バッグドロップは究極の技術の追求であり、

一歩間違えば、命も落としかねない大技であるからこそ、


そこには、真の格闘技精神の継承があるのである。


( 完 )
そのローマ帝国時代のコロシアム(闘技場)の闘いは、人道的には、完全に間違っているだろう。


そこには、スポーツマンシップどころか、正義も倫理もない。


歴史的には、暗黒の部分であり、汚点なのかもしれない。



しかし、その極限の中で、鍛えられた、究極の技と肉体、

そして、命を代償とする究極の勝負の精神こそ格闘技の本質ではないかと思うのである。



(つづく)
『筋書きのあるスポーツとしてのプロレス』


これを世間一般的には、偽物の格闘技と言う人も、多いだろう。


プロレスは、偽物の格闘技なのか?


では、本物の格闘技とは何か?


まず、格闘技のルーツから、考えてみたい。


まぁ、諸説、色々な解釈があると思うが、私の意見としてはローマ帝国時代のコロシアム(闘技場)での剣闘士たちの闘いがルーツだと思う。


彼らの闘いは、まさに究極の闘いである。

剣闘士として、集められたのは、戦争で敗れた敵の捕虜や奴隷、罪人たちであった。


闘いに勝つしか生きる道がないという極限の環境で、死ねば負けという究極の勝負をしていたのである。

(つづく)