土佐の郷士の家に生まれ、維新の

立役者となった坂本竜馬の奇跡の

生涯を描く長編歴史小説。

著者は司馬遼太郎。

 

文庫本第8巻は、武力によらずして

将軍に政権を返上させる大政奉還が

稀世の妙案であることを、京を拠点

として土佐の同郷の中岡慎太郎の協

力を得て、武力討幕主義を貫き武装

蜂起の計画を熟させていた薩長両藩

を粘り強く説き理解を得ていく過程、

またその実現に向けて公卿の岩倉具

視の賛成を得たり大胆にも大目付な

ど幕府高官を直参して地ならしする

動き、長崎の水兵斬り事件を機とし

た長崎と二度の土佐行き、もう一方

で進められていた武力討幕の密勅が

下る寸前で十五代将軍徳川慶喜によ

表明された大政の奉還、そして維新

へとたどりつく時流を最後まで見届

からことなく流星のように天に召さ

れた竜馬の生き様が生き生きと描か

れる。


竜馬が創案した大政奉還はあまい平

和解決案で実現性に欠くとみていた

武力討幕主義の西郷隆盛や大久保一

蔵を諒解させるため、竜馬が同郷の

中岡に吹き込む場面は説得力がある。

大政奉還案を薩土両藩の動議として

将軍に上程し、その名目で藩兵を上

洛させ、武力を背景に政権返上を迫

るというのだ。確かに名目があれば

薩長土の藩兵を同時期に大挙上洛せ

しめるし、薩長の後塵を拝していた

土佐の面目も一新できる。討幕派に

も佐幕派にも都合良く理解される魔

術性を持ったこの案に昂奮した中岡

は、竜馬とともに西郷や大久保、長

州の伊藤俊輔、岩倉らを説いていく。

竜馬の胆力が特に発揮されるのは幕

府の大目付・永井尚志を約束も無し

に単身で訪ねていく場面。庭の樹を

眺めて警戒心を解き、外国が侵略を

狙う中、徳川ではなく日本のために

政権の看板を下ろしてはとズバリ言

い放つ。威光が衰えた幕府の戦力で

は薩長には勝てないだろうと。高官

は口にこそ出さないが竜馬に反論で

きない。


しかし時勢は思わぬ事件で足止めを

食らう。長崎で海援隊の隊士が英国

海軍の水兵二人を惨殺したというの

だ。公使パークスが幕府に怒鳴り込

み、竜馬や土佐藩の重役たちはこの

対応のために大坂→兵庫→高知→長

崎→下関→高知へと移動。この間、

竜馬は旧知の越前侯・松平春嶽を大

坂藩邸に訪ね、土佐侯・山内容堂宛

に英国に冷静に対処するよう手紙を

書いてもらう。また土佐行きの汽船

を西郷が土佐藩に用意してくれる。

竜馬の人徳の為すところだ。そして

強面のパークスに対して幕府が弱腰

なのに対し、土佐藩の後藤象二郎は

一歩も引かない交渉力を見せる。幕

威の落ちぶりは見ていて情けない。

結局この事件はお構いなしで無罪と

なっている。

長崎で新式銃一千丁を入手した竜馬

はその代金を土佐藩会計係の岩崎弥

太郎に押し付けて、土佐藩に贈るべ

く高知に向かう。この時、竜馬は藩

の図らいで一度目の脱藩以来の久々

の上陸を果たして生家の家族と再会

している。

 

二カ月ぶりに京に戻った竜馬。待ち

切れず武力発動に傾く薩摩藩を抑え、

永井のもとに竜馬と後藤がかわるが

わる訪ねる。ついに慶応三年十月十

三日、二条城の大広間で徳川慶喜は

大政を奉還すると表明。参内できな

い竜馬は後藤からの手紙でそれを知

り、顔を伏せて泣く。この時に竜馬

が吐いた言葉は、将軍の心中を察し、

その心中の激痛を慮り、一命を投げ

打ってでも慶喜の生命を救済したい

という内容だったのには感銘を受け

る。その夜、新官制案を竜馬は作り

上げるが、新政府の人員には自分を

入れていない。岩倉・西郷・大久保

らを中心的存在とし、西郷に問われ

自分は「世界の海援隊」でもやろう

と言う。更に岩倉には新政府の基本

方針八ヵ条を提出し、それは殆どそ

のままの形で採用されたという。ま

た無血革命が成功したとは言え、親

藩の大名が反旗を翻す可能性から武

力が必要になる局面がある筈と西郷

に諭す読みの鋭さ、洞察力の高さに

感服する。実際に戊辰戦争は起きた

のだから予見的中だ。


しかし大政奉還から約1カ月後、竜

馬と中岡は京の拠点である材木屋で

刺客に暗殺されてしまう。この場面

が陰惨に描かれない最終巻の結び方

は筆者の竜馬に対するリスペクトを

感じる。


この巻のハイライトは、やはり大政

奉還が成ったことを竜馬が手紙で知

った瞬間だろう。ここまでの苦労が

報われた想いは勿論、自らが企てた

筋書を雲の上の存在の将軍が受け容

れ、自己犠牲により徳川の時代を終

わらせる決断を下したという事実は

感無量だったに違いない。竜馬が大

政奉還を生きて迎えられたのはホン

ト良かった。

それと二度目の高知行きの際に、生

家を訪れ、久しぶりに再会した家族

と賑やかに過ごす場面。その席に武

市半平太の未亡人も招待されていた

のは涙もの。美しいお田鶴さまとの

微笑ましい再会の場面も1巻から読

み進めてきた身には嬉しい。

竜馬の人間的魅力が溢れ出る場面は

数多い。寺田屋のお登勢、おりょう

やお千代など女性との場面も一服の

清涼剤になる。

 

数多くの登場人物、特に一抹の脇役

の人物描写にも労を惜しまない筆者

の徹底した取材量と推察力、文才に

は改めて感銘を受ける。