お読み頂き、ありがとうございます。

 

下記の続きです。

 

 

回復期の入院期間は凡そ5か月でした。

 

その間は休み無しで毎日、PT、OT、STなどを続けていました。

 

先ずPT(PT~physical therapy、理学療法)の経過のあらましについて書きたいと思います。

 

 

 

始めに麻痺が大きかった足首を支える装具を作って貰った。

 

転院先には装具を作る部署に専属の装具士が複数居て、装具の製作と補修を行なっていた。

 

勤務時間内で対応可能であれば、装具の新規製作や調整、修理などに即時に対応して貰えた。

 

例えばリハビリ中の装具の破損や調整など。装具は各個人の症状や体形に合わせる為に個別対応が殆どなので即応する必要があり、この即応体制は助かった。

 

 

先ず石膏で足形を採り、熱可塑性の樹脂(ポリプロピレンらしい)とアルミのダイキャストらしいヒンジで数日で出来上がった。

 

作り始める前に、

「色は、どうするか」

と聞かれ、

「黒で」

と言ったら

「今まで黒は、ほとんど無かった。肌色や黄色や白だった」

というので

「紫外線での劣化が少ないと思うので黒で頼みます」

と言ったら

「そう言われたのは初めて」

だそうであった。

 

 

 

 

数日で出来上がって来た装具を使い歩行訓練を始めた。

 

しかし訓練を始めたら踵が装具に当たり痛くなった。当たる所が赤く腫れたが有難い事に担当の療法士さんが裁縫箱から私物のフェルトを持って来て貼って呉れた。楽になり助かったが代金を現金で払う訳にもいかず、これは少しでも訓練で症状を改善するのが御礼に成るのかと思った。

 

画像の赤い部分が貼って貰ったフェルト。

 

訓練は先ず、体重の一部を上からのテザーロープで支えながら、トレッドミルで歩行練習する様な装置を使った。車のT田の関連会社が作っているらしい。

 

装置のカメラ画像のコピー

(自分で確認出来る)

 

 

調子良く歩き汗をかきそうになった頃、気分が悪くなり、へたり込んだ。

 

血圧の実測値

 

 血圧を測ると、なんと上が「88」になっていた。

即、医師を呼んだら訓練中止の指示。

 

原因はどうやら、処方されていた降圧剤らしく、直ぐに量と薬剤の種類や組合せを変え、翌日から訓練を継続した。

 

 

体育館内の歩行訓練は、最初に車輪の付いた歩行器だったが、慣れると松葉杖やT字型の取手の杖に換えて行なった。

 

次第に症状が良くなると、訓練は手摺に掴まった状態での階段の昇降や、平行棒を使った屋内での歩行、平坦な場所やスロープでの室内の歩行、屋外の平坦な所や坂道の上り下りなど色々な状況で歩行訓練を行なった。

 

 

 

なお理学療法の時は、訓練前にストレッチやマッサージをして貰えるのだが確かな知識と的確な経験に裏付けられていて効果が実感出来た。

 

凝っている箇所も、一撫で判るのは、流石であった。

 

 

 

まあ訓練は順調に続いていた。

 

しかし夏に近付き気温が上がり「熱中症警戒情報」が頻繁に出るたびに屋外の訓練は中止となった。

 

これで実際の「娑婆」の屋外に近い状態の訓練は減ってしまった。天気には逆らえないとは言え、これはハンディだった。

 

 

更に加えて、病院内でコロナの感染者が発生し、訓練は各病棟内の狭い範囲に限られる様になった。

 

感染者の隔離部屋の近くの廊下は立ち入り禁止となった。

 

つまり病棟内の隔離部屋の為に狭くなった廊下や各病棟ごとの食堂内に限られた訓練になり、質、量ともに低下した。

 

最後の極めつけは、相部屋の4人の内の1人がコロナ陽性に成り、私を含む他の3人が陰性にも拘らず病室内に全員が軟禁状態に成った。

 

食事は相室内となり訓練は中止、退院までの1週間近くは自室のカーテン内で、檻の中の熊の様に丁字杖を使い自主歩行練習を続けていた。

 

治療と訓練、食事、介護、掃除、精神的に支えて呉れた方たちなど助けて貰った全ての方たちや物に

 

ありがとうございます。

 

おかげで、杖か歩行器を使い、平坦な場所の歩行、手摺に掴まった階段の登り降りを装具無しでユックリ出来る様になりました。

 

これからも何処まで回復できるかリハビリを続けています。❗

 

 

皆さん、良い御歳を❗

お迎えください。

 

続く

 

to be  continued