ご訪問ありがとうございます。
下記の続きです。
予定されていたSTが始まったのは覚えている。
どうもOTとPTも同じ日に始まったのかも知れない。
でも記憶がハッキリしない。
各リハビリの予定は個別の伝票が発行されていたが、枚数が多くなったので捨てたりメモに使い、残っていないので詳しくは判らない。
しかし割と頻繁にリハビリをしていたらしい。
PTもOTも最初はその時点の症状の測定と評価と記録だった。
例として関節の可動域(ROM~Range Of Motion と言うらしい Read Only Memory ではない 笑)や麻痺の状態の測定と評価、記録を行なった。
初めは半身が麻痺しており、足は膝関節から下が動かせず、感覚が殆ど無かった。腕は肘関節から先が動かせずに、感覚も略なく、顔面も半面の外周の動きが悪く触覚が鈍い部分が在った。
その後、連日のリハビリで3週間後には支えが在れば、何とか立って居られる様になった。
しかし麻痺した片手はマスクをするのには不十分な動きだった。例えるとミトンをして動かす様な塩梅。具体的には親指に対向する4本の指は互いに接着した様に同時にしか動かせない。(分離が悪いと言っていた~Separation かな)
リハビリの御蔭で、そんな状態までになり凡そ3週間半後には回復期の施設に移る事になった。
但し麻痺した部分の触覚は足も手も、あまりなく、痺れたままで、その痺れに重なって触られた感触が少し在る状態であった。丁度、正座で痺れた足の感覚が戻り掛けた時に似ていた。
他に入院後半では限られた域内の単独での車椅子を使った移動が許可され、無線のナースコールを持ちながら動き回れた。例としてラウンジに移動して夜景を見ながらの夕食を楽しめた。同じ病院でも十数年前の入院の時と比べて随分と居心地が良くなっていた。
その後、回復期の施設に移る前には清拭ではなく、シャワーを使わせて貰え、さっぱりとして退院し転所させて貰った。
回復を助けて頂いた方々に感謝!
この項の後書き
入院していた病院は、母体の医学部の研修医や併設の看護学校や各療法士の学校からの研修生を受け入れていた。
まあ自分が教材として少しは役に立ったらしい。
この分野に関連する職種は、ほぼ実務の経験が国家試験の受験資格に必須であったり、国家試験合格後にも必須らしい。
自動車でも仮免許の路上教習は有りますね。同列に考えるのは失礼かも知れませんが!
そうそうリハビリ中、或る研修医の方との雑談で
「日照時間の短い自治体ほど、鬱になる人が多い」
との話が在った、それに関連して思い出した事があったが別の項で触れたい。
以下はちょっとオマケ。
今回の入院病棟は、新しい建物になり、TV番組のロケイションに使われるなど、見栄えも居住性、眺望も良くなり。職員にも入院患者にも配慮されていると感じた。
但し、丘陵地に新旧、両方の建屋が混在しており、それらの接続部分では廊下の傾斜が若干きつい部分があった。そこでのストレッチャーの上りでは前後各1人づつの二重連で勢いをつけて、一気に通過する必要があった。下りでは同じく前後1人づつでブレイキを利かせながら下るなどスリリングな運用をしていた。載せられて居る自分としても、何も無い事を祈ると言っては、なんであるが退屈な入院中のササヤカナ楽しみでもあった。
前後の看護師さんたちが
「行くよ~」「それ~」と掛け声のもとガラガラとキャスターを鳴らしながら押して行くのはドラマでもあまり見た事が無い情景だった。
PT~フィジカル セラピー
理学療法
フィジカル セラピスト
理学療法士
OT~オキュペイション セラピー
作業療法
オキュペイション セラピスト
作業療法士
この項、続く。
To be continued