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少年草子

ふと、皆が貧しかった日本の終戦前後に少年期を過ごした私自身の思い出の風景を綴ってみようと、ブログを始める気になった。亡き妻を相手に雑談をするくらいの気軽な雑記帳と捉えていただければ幸いである。

………日本初のカラー怪獣映画である『空の大怪獣ラドン(本多猪四郎監督/特技監督:円谷英二/1956年12月公開)』は、九州の阿蘇や三井三池炭鉱周辺を背景とし、当時の日本経済の根幹を支えていた黒いダイヤと呼ばれる石炭産業の様子を上手く描写している。



戦後の我が国のエネルギー発展に大いに寄与した、福岡県大牟田市三池郡高田町(現・みやま市)及び熊本県荒尾市に坑口を持っていた三井三池炭鉱(1997年3月閉山)……。

室町時代にまで遡(さかのぼ)る1469年、一人の農夫が稲荷山(とうかやま…現在の大牟田市大浦町付近)で【燃ゆる石…石炭】を偶然発見したところから、その歴史が始まったとされる日本有数の炭鉱である。 

激しい労働争議や大規模な爆発事故及び火災事故等々の様々な歴史を経てきた此の地も、現在では遺(のこ)された建造物が重要文化財や史跡や登録有形文化財、世界遺産などに指定されるなど、産業遺産としても注目されている。

戦時中は当然、この炭鉱も敵機の攻撃目標になり、作業場やそれを取り巻く街は壊滅的打撃を受けていた。



………終戦後、二,三ヶ月経って小学4年生以上は全員、炭鉱街の後片付けに駆り出された。

街は辺(あた)り一面、焼け野原となっていた。

焼け炭と変わり果てた木造家屋の瓦礫(がれき)を相手に奮闘する生徒達は皆、服も手足も顔までをも真っ黒にしながら作業に励んだ。

その日から三ヶ月後………後片付けに参加した小学4年生以上の生徒全員に運動靴の配給があり、当然ながら私を含む3年生以下の者には何も無かった。


但(ただ)し、配給の運動靴には余剰分(よじょうぶん)もあったらしく、私達の先生はその事を伏(ふ)せた上でこう言ったのだった。


「今から皆に紙を配るから、君達が一番欲しい物を何でも良いから一つだけ書きなさい。服や勉強道具、食べ物等、何でもよろしい。」


私は願い事を書くだけの、単なる夢を語る為のものだと思ったので、生唾(なまつば)を飲み込みながら『バナナ』……と書いた。



先生は集めた文面を一枚一枚、大きな声で読んだ……すると、60人いる生徒達の中で、ただ一人だけ『うんどうぐつ』と書いた者がいた。

………畳屋の息子だった。

先生は事情を明かした上で、全員の納得(渋々だが)のもと、皆が見ている前で現物を本人に渡した。


私を含む生徒全員、羨望(せんぼう)の眼差(まなざ)しで、何時(いつ)までも畳屋の息子………というより、彼が手にした新品の運動靴を見つめていたのだった。



もしもアノ時、バナナではなく『運動靴』と書いていたらと思うと……【後悔クツを履(は)けず】だ………。