どもー。

先週の涼しい天気はいずこへ・・・

今週の姫路はまだまだあぢぃ~晴れ晴れ晴れ

あぢぃと言えば、昨日から韓国で始まった世界陸上。

おさーんのピグも世界陸上に衣替え~RUNNER

そんななか


久しぶりの読書感想文っす。


$ようこそ!細マッチョだいすけのブログへ


辻村深月は好きな作家の1人で

今までには「ゼロ・ハチ・ゼロ・ナナ」と「凍りのクジラ」を読んだっす。



んで

こっからは内容のネタばれがあるので

未読の方は、スルーしてねー



ノート   ノート   ノート



表題でもある「ツナグ」とは

死者と生者を会わせることができる使者のことで

その再会にはお約束があって


○ 死者も生者も会える機会は1度きり

○ 死者から生者に会いたいと希望することはできない。

○ 会いたいと思う死者が過去に1度、自分の他の生者に
  会っていると、その死者に会うことはできない。

○ 会える時間は日の入り~日の出まで。
  よって、夜の長い満月の日が多い。




んで この本に登場する生者は


○ 突然死したアイドルに助けてもらった気弱な女子

○ ガンで亡くなった母に会いたい頑固親父

○ 大親友を事故死で失った女子高生

○ 7年前に行方不明になった彼女を探すサラリーマン




それぞれの生者が、死者と生前に深いつながりがあって

それだけに


「ほんとに会えるのか?」

「会って何て言おうか・・・」

「その前に、向こうは自分に会ってくれるのか?」


などの葛藤を抱えながらも、最後はホテルの1室で

再会をするわけです。



おさーんが驚いたのは

突然死したアイドルのキャラが

「これって飯島愛やん!」と

思うほど、かぶってましたww



んで


この「ツナグ」の役割をするのが男子高校生で

依頼に来たすべての人が、初対面で彼を見て

「本当にこの子が?」って感じで

驚き、疑い、不安になります。



まあ、話をするうちに

男子高校生の落ち着いた態度と

話す内容の信ぴょう性に

最後は信じるんやけどね。



んで


どうして高校生という若さで「ツナグ」になっているのか・・・

この謎も最終章で明らかになります。


おさーんは この最終章に書かれていた文が

とーっても心に残ったので

ちと、載せますね。



「使者って何なのか。死者は、生者のために
存在してしまっていいのか。

 死者に会いたがるのは、全て生者の勝手な
 都合なのではないか。

  (中略)

 それは確かに、誰かの死を消費することと同義な
 生者の欺瞞かもしれない。

 だけど、死者の目線に晒されることは、誰にだって
 本当は必要とされているのかもしれない。

 どこにいても何をしてもお天道様が見てると感じ、
 それが時として人の行動を決めるのと同じ。

 見たことのない神様を信じるよりも
 切実に、具体的な誰かの姿を常に身近に置く。

 あの人ならどうしただろうと、彼らから叱られる
 ことさえ望みながら、日々を続ける。」



 おさーんが思うに

 死んでしまった者を思うのは 

 生きてる者にとっては当たり前なわけで

 
 葬式もお墓参りも 生きてる者が

 死者を忘れないように するわけで


 なんていうか

 それは死者のためを思ってするというよりも

 生きている自分たちのために

 している気がするんだなー。



 どうしても自分たちのためにっていうと

 勝手で都合がええと思ってしまうけど


 言い方、悪くなってしまうけど

 死んでしまったらそこで終わりなわけで

 
 今、こうして生きている者が

 自分たちのために死者を思い、

それを力に生きていくことは

 決して非難されることではないかなあ・・・と。




 「ツナグ」を読んで思ったのは

 例えば、おさーんみたいに3人兄姉妹で

 そして、親父も含め家族4人がいたとして


例えば、全員が亡くなった母に会いたいとしても

 たった1人しか会えないというのが

 ちょっと厳しくて、悲しくなったかな。


 んで


 生きてる者にしても、母が誰に会いたいのか

 それは天国にいる母にしか分からないわけで

 自分が会いたいと望んでも

 母の会いたい人が自分じゃなかったら

 それはそれでショックなわけであせる

 この小説の設定に限っていうと

 ちょっとブルーになってしまうんだなー。



 ま、おさーんは夢の中で 

 思った人に会えたりするという

 不思議な特技があるので

 そこは心配ないけどねーニコニコ



 逆に、自分が死んでしまって
 
 誰からも「会いたい」って依頼が来ないほうが

 よっぽど淋しいなーー しょぼん



 そんなことを思った 日曜の昼下がりでしたー