19からの続きです いとしき人へ19
放送を聞き終えた僕は1階へ降りて行った。いよいよ母がこの家から
いなくなる。信じたくない現実がとうとうやって来た。
和室にはすでに父、姉、妹、そして親戚の人が何人か揃っていた。棺
に入った母に皆が語りかけていた。僕は何て言っただろう。憶えていな
い。たぶん「ありがとう。」とだけは声を掛けたと思う。こんな風に人
は信じたくない出来事は忘れてしまうんだろうか。忘れるというよりも
悲しみが大きすぎて蓋をしてしまうんだろうか。
そして出棺の時が来た。母の棺を持ちながら玄関から表に停めてあ
る霊柩車に運び込む。不思議と涙は出なかった。もう涙は出しつくして
しまった。
小さい頃から玄関を背にして、たくさんの写真を撮った。小学校の入
学式。卒業式。特に用事はないけれど庭で撮った写真もある。成人式
にはスーツ姿で母の隣に立った。この玄関をもう母はくぐることはな
い。もう一緒に写真も撮れない。家族で一緒に笑ったり、泣いたり、ご
飯を食べたりすることはもうない。
車の周りには近所の方も集まっておられ、手を合わせて母の出発を
見送っていた。そして母と僕達を乗せたまま、静かに出発した。
告別式が行われる会場は車で10分もあれば着く所にあった。何回
も言うようだけど、この時の記憶も断片的なものでしかない。後で分
かって驚いたことがある。僕は母が亡くなったことを友人に電話で知
らせていた。そしてこの日、友人が式に来てくれた。お焼香をしてか
ら僕の前でお辞儀をしてくれた。しかし、僕はそれすら憶えていない
のだ。後に友人も驚いていた。
うっすらと脳裏にあるのは父が涙をこらえて弔辞を読む姿。そして
最後のお別れの時に、棺の中に菊の花を入れた事くらいだ。
式が終わり、僕達は焼き場へと向かった。何度もお別れしてきたけ
れど、これが本当に最後だ。棺がするすると焼き場の中へ入って行く。
皆で手を合わせる。そして、そして点火された。
母がこの世からいなくなる。肉体がなくなってしまう。焼き場の棺に
入れられた母が、消えてしまう・・・
ダメだ。僕はもうダメだった。立っていられなかった。枯れていたはず
の涙と、こらえていた声が出る。隣にいた、幼い頃によく遊んでもらった
親戚のおばさんにすがりついた。彼女の肩を掴んで声を上げて泣い
た。
「お母さん、お母さん・・」
おばさんは僕の肩を抱いて、優しく頭を撫でてくれた。何度もポンポン
と肩を、背中を叩いてくれた。
どれくらいそうしていただろう。母が魂だけになった。煙になって天国
へのぼって行った。僕はおばさんに、すいませんとだけ言った。おばさ
んは何も言わず、ただうなずいてくれた。それが嬉しかった。
泣くだけ泣いた僕は、もうすっかり抜け殻のようになっていた。その後
お骨を拾う時も、悲しいという感覚は無かった。骨だけになった母。係
の人が喉仏の骨を拾い、仏様が祈る姿に似ていると説明しているのを
ぼんやりと聞いていた。父が涙を流しながら立っていたのも憶えてい
る。お骨の中には母がしていた結婚指輪が残されていた。姉がそれを
取り出し、妹に「形見にしとき」と言うのも憶えている。
いとしき人へ21
放送を聞き終えた僕は1階へ降りて行った。いよいよ母がこの家から
いなくなる。信じたくない現実がとうとうやって来た。
和室にはすでに父、姉、妹、そして親戚の人が何人か揃っていた。棺
に入った母に皆が語りかけていた。僕は何て言っただろう。憶えていな
い。たぶん「ありがとう。」とだけは声を掛けたと思う。こんな風に人
は信じたくない出来事は忘れてしまうんだろうか。忘れるというよりも
悲しみが大きすぎて蓋をしてしまうんだろうか。
そして出棺の時が来た。母の棺を持ちながら玄関から表に停めてあ
る霊柩車に運び込む。不思議と涙は出なかった。もう涙は出しつくして
しまった。
小さい頃から玄関を背にして、たくさんの写真を撮った。小学校の入
学式。卒業式。特に用事はないけれど庭で撮った写真もある。成人式
にはスーツ姿で母の隣に立った。この玄関をもう母はくぐることはな
い。もう一緒に写真も撮れない。家族で一緒に笑ったり、泣いたり、ご
飯を食べたりすることはもうない。
車の周りには近所の方も集まっておられ、手を合わせて母の出発を
見送っていた。そして母と僕達を乗せたまま、静かに出発した。
告別式が行われる会場は車で10分もあれば着く所にあった。何回
も言うようだけど、この時の記憶も断片的なものでしかない。後で分
かって驚いたことがある。僕は母が亡くなったことを友人に電話で知
らせていた。そしてこの日、友人が式に来てくれた。お焼香をしてか
ら僕の前でお辞儀をしてくれた。しかし、僕はそれすら憶えていない
のだ。後に友人も驚いていた。
うっすらと脳裏にあるのは父が涙をこらえて弔辞を読む姿。そして
最後のお別れの時に、棺の中に菊の花を入れた事くらいだ。
式が終わり、僕達は焼き場へと向かった。何度もお別れしてきたけ
れど、これが本当に最後だ。棺がするすると焼き場の中へ入って行く。
皆で手を合わせる。そして、そして点火された。
母がこの世からいなくなる。肉体がなくなってしまう。焼き場の棺に
入れられた母が、消えてしまう・・・
ダメだ。僕はもうダメだった。立っていられなかった。枯れていたはず
の涙と、こらえていた声が出る。隣にいた、幼い頃によく遊んでもらった
親戚のおばさんにすがりついた。彼女の肩を掴んで声を上げて泣い
た。
「お母さん、お母さん・・」
おばさんは僕の肩を抱いて、優しく頭を撫でてくれた。何度もポンポン
と肩を、背中を叩いてくれた。
どれくらいそうしていただろう。母が魂だけになった。煙になって天国
へのぼって行った。僕はおばさんに、すいませんとだけ言った。おばさ
んは何も言わず、ただうなずいてくれた。それが嬉しかった。
泣くだけ泣いた僕は、もうすっかり抜け殻のようになっていた。その後
お骨を拾う時も、悲しいという感覚は無かった。骨だけになった母。係
の人が喉仏の骨を拾い、仏様が祈る姿に似ていると説明しているのを
ぼんやりと聞いていた。父が涙を流しながら立っていたのも憶えてい
る。お骨の中には母がしていた結婚指輪が残されていた。姉がそれを
取り出し、妹に「形見にしとき」と言うのも憶えている。
いとしき人へ21