17からの続きです いとしき人へ17
家に着いた僕はシャワーを浴びることにした。そういえば母が倒れて
から風呂に入っていなかった。鏡を見るとひげが伸びていた。普段は
少しでも伸びるとシェーバーで剃っていたのに、母が倒れてから僕は
ひげが剃れなかった。剃ってしまうと母が死んでしまうような気がし
たからだ。そんな迷信というか、なにかにすがりつきたいほど僕は参
っていた。
僕には霊感がない。これまで幽霊を見たとか、金縛りにあったとか、
いわゆる心霊現象というやつに遭ったことは生まれて一度もなかった。
シャワーを終えて部屋で着替えていた時のことだった。僕の部屋の
壁には鞄とか帽子とかが掛けられているが、その帽子が音もなくはら
りと床に落ちて行った。窓は閉まっているし、風とか、そんな振動も全
くないのに関わらず、帽子が音もなく落ちた。その瞬間僕には分かっ
た。
「あ、お母さん 逝ってしまった・・・。」
何故だか分からないが、本当に何故だか分からなかったが確信があ
った。そして30秒ほど経ってから、1階の電話が鳴った。病院からだっ
た。
「だいくん・・・さっき・・・お母さん亡くなったよ・・・。」
「うん。分かった・・・。すぐ行く。」
たったこれだけの会話。電話の声は姉だった。その声は僕と同じくら
い静かだった。泣いて知らせてくるとか、僕も取り乱してしまうとか、
そういうことは全くなかった。本当に静かな時間が流れていた。今思う
と昼に○○さんが言った言葉で、僕達は覚悟をしていたのかもしれな
い。信じたくないけれど、お母さんはもう帰って来ないことを。
自転車を飛ばして病院へ向かう。あの時、母が救急車で運ばれた時
は祈りながら、つぶやきながらペダルを漕いだけれど、この時はもう
ただ静かに、それでもスピードを出して、僕は病院へ向かった。
病室へ着くと、父、姉、妹の他にも見舞いの人が何人か来ていた。
みんな目が赤く腫れていた。泣いてはいなかったけれど目が潤んで
いた。そして僕は母の元へ近寄って行った。
母は目を閉じていた。眠るようにベッドに横たわっていた。それは前
と変わらない。ただ1つ違っていることがある。母はもう呼吸をしてい
なかった。顔にあった酸素マスクも、鼻からのチューブも、点滴も全て
外されていた。
僕は母の顔をそっと撫でてみた。ほんの少しだけど、まだあったか
い。手を触ってみた。まだあったかい。もう1度顔を撫でてみた。まだ
あったかい。何度も何度も僕は、顔を、手を触り続けた。涙がこぼれて
きたけど、構わなかった。そうしている間に僕は母に語りかけた。
「お母さん、教えてくれてありがとう。頑張ったな。しんどかったな。
もうゆっくり休みや。もうゆっくり休みや。」
母の顔は、本当に、まるで眠っているように穏やかだった。
いとしき人へ19
家に着いた僕はシャワーを浴びることにした。そういえば母が倒れて
から風呂に入っていなかった。鏡を見るとひげが伸びていた。普段は
少しでも伸びるとシェーバーで剃っていたのに、母が倒れてから僕は
ひげが剃れなかった。剃ってしまうと母が死んでしまうような気がし
たからだ。そんな迷信というか、なにかにすがりつきたいほど僕は参
っていた。
僕には霊感がない。これまで幽霊を見たとか、金縛りにあったとか、
いわゆる心霊現象というやつに遭ったことは生まれて一度もなかった。
シャワーを終えて部屋で着替えていた時のことだった。僕の部屋の
壁には鞄とか帽子とかが掛けられているが、その帽子が音もなくはら
りと床に落ちて行った。窓は閉まっているし、風とか、そんな振動も全
くないのに関わらず、帽子が音もなく落ちた。その瞬間僕には分かっ
た。
「あ、お母さん 逝ってしまった・・・。」
何故だか分からないが、本当に何故だか分からなかったが確信があ
った。そして30秒ほど経ってから、1階の電話が鳴った。病院からだっ
た。
「だいくん・・・さっき・・・お母さん亡くなったよ・・・。」
「うん。分かった・・・。すぐ行く。」
たったこれだけの会話。電話の声は姉だった。その声は僕と同じくら
い静かだった。泣いて知らせてくるとか、僕も取り乱してしまうとか、
そういうことは全くなかった。本当に静かな時間が流れていた。今思う
と昼に○○さんが言った言葉で、僕達は覚悟をしていたのかもしれな
い。信じたくないけれど、お母さんはもう帰って来ないことを。
自転車を飛ばして病院へ向かう。あの時、母が救急車で運ばれた時
は祈りながら、つぶやきながらペダルを漕いだけれど、この時はもう
ただ静かに、それでもスピードを出して、僕は病院へ向かった。
病室へ着くと、父、姉、妹の他にも見舞いの人が何人か来ていた。
みんな目が赤く腫れていた。泣いてはいなかったけれど目が潤んで
いた。そして僕は母の元へ近寄って行った。
母は目を閉じていた。眠るようにベッドに横たわっていた。それは前
と変わらない。ただ1つ違っていることがある。母はもう呼吸をしてい
なかった。顔にあった酸素マスクも、鼻からのチューブも、点滴も全て
外されていた。
僕は母の顔をそっと撫でてみた。ほんの少しだけど、まだあったか
い。手を触ってみた。まだあったかい。もう1度顔を撫でてみた。まだ
あったかい。何度も何度も僕は、顔を、手を触り続けた。涙がこぼれて
きたけど、構わなかった。そうしている間に僕は母に語りかけた。
「お母さん、教えてくれてありがとう。頑張ったな。しんどかったな。
もうゆっくり休みや。もうゆっくり休みや。」
母の顔は、本当に、まるで眠っているように穏やかだった。
いとしき人へ19