16からの続きです
                       いとしき人へ16


 母が倒れて3日目。今日も病室にいる僕は、今は1人だった。相変わ

らず母は眠ったままで、酸素マスクから漏れる呼吸の音と、心電図の

電子音だけが静かに鳴っていた。
 
 毎晩泊まり込みで病室に寝ている父は、今は家に帰っている。姉も妹

も今は家にいる。こうして母と一緒になれるのは、倒れてからは初めて

だった。傍らにある椅子に座り、しばらく母の姿をぼーっと眺めていた

僕は、立ち上がるとベッドの横に立ち、母の手を握ってみた。

 あったかい。やっぱりお母さんの手だった。意識はないのにこうして

ちゃんと温もりがあるのがとても不思議だった。僕は母の足元の布団

をめくってみた。そして足を撫でてみた。やはりあったかくて何をする

でもなく、その足をゆっくりとさすり続けた。そうしていると、僕の手の

感覚が伝わり、ひょっとすると母はまた目を開けるんじゃないか。意識

が戻るんじゃないか。そんな祈りにも似た思いで、僕は足をさすり続

けた。

 しばらくして、また父と姉、そして妹がやって来た。家族5人がこうして

揃ったけれど、いつもの家ではなく病室というのがとても悲しかった。

 母の横に立ち、姉も妹も僕と同じように、母の手を握ったり、足をさす

ったりしていた。父は何も言わず、そんな僕達の姿をただ黙って見て

いた。


 どれくらい、そうしていただろう。病室にお見舞いの人が来た。近所に

住んでいるおばちゃんだった。彼女は母とよく世間話をしたり、僕も会

えば必ず挨拶をする、そんな関係だった。その○○さんが僕達に挨拶

をすると母の様子を見るためにベッドの横にやってきた。そして横に備

えつけらているビニール袋に目をやり、何か確認するようにそれを触り

始めた。最初僕は彼女が何をしているのか分からなかった。どうしてそ

んな事するんだろう?不思議に思っていたら彼女がこう言った。

「お母さんのおしっこ、前からこれ位の量なん?」

 実は○○さんは看護師さんだった。その事は僕も知っていたので、あ

あそうか、○○さんは尿の量を調べてはったんや。と妙に納得してい

た。けれどその質問の意味が分からなかったので、僕はとまどいな

がらも答えた。

「ええと、前はもうちょっと多かったけど、だんだん減って来てるんで

す。」

 それを聞いた○○さんは急に顔を曇らせた。僕達家族はそれがすご

く気になり、皆で一斉に尋ねた。

「え?それが何か・・・」

 すると○○さんは言った。

「う~ん、おしっこの量が減ってきてるのが心配やねえ。あんまりいい

兆候じゃないというか・・・。」

 衝撃だった。母が倒れてからまだ3日しかたっていない。こうして家族

が揃うのも久し振りだったし、まだまだこれから母の回復を信じていた

矢先なのに。それなのに・・・。

 ○○さんはそういった後、でもまだお医者さんがきちんと診てくれてる

しとかなんとか、僕達を慰めるように言い残して病室を後にした。



 ○○さんの言葉に、僕達は凍りついたようにしばらく黙っていた。誰も

何も言わなかった。僕は僕でさっきの言葉の意味を必死で理解しよう

としていた。けれど考えれば考えるほど、信じたくない想像が膨らんで

来てしまう。そして、まだそれを受け入れるには早過ぎた。そんな準備

なんてしていない。考えたくもなかった。

 恐らくそこにいた全員が同じ気持ちだったと思う。手術できない、意

識もない。とても嫌な言葉だけれど植物人間に・・・いやこの言葉は絶

対に使いたくない。何が植物だ。人間に向かって植物なんてひどすぎ

る。けれど現実は・・・。


 どうすることも出来ない僕は、さっきの言葉から自分が考えてしまう

想像を打ち消しながら、父達を残して一旦家に帰ることにした。

いとしき人へ18