14からの続きです いとしき人へ14
病院での1日があっという間に過ぎて夜になった。父と妹を残して僕
はまた家へ帰ることにした。
昼間は近所の方がいろいろ片付けるてくれたり、親戚が来ては母の
様子を話していたり、家の中は賑やかだった。今はそのほとんどが帰
られて、僕の他には何人かの方が残っているだけだった。会話をする
気力も残っていなかった僕は、2階の自分の部屋に行った。
部屋に入ると椅子に座り、今日の出来事がまだ本当に自分の家に起
こったのか信じられない思いで、茫然としていた。そして、机の上にあ
るノートを見つめていた。
僕は中学の頃から日記を書いていた。当時はインターネットのブロ
グなどあるはずもなく、薄い大学ノートに毎日ではないが、思ったこ
となんかをとりとめもなく綴っていた。そのノートを眺めているうちに
僕は今日の事を書こうと思うようになっていた。今日の出来事は書い
ておかなければいけない。妙に冷静な自分がいるのが不思議だった。
そのノートは今は押し入れの奥深くにしまわれ、あれから今日まで一
度も開いていない。読み返す事なくしまわれた日記。その日記を僕はこ
のブログを書く前に探し出してみた。段ボールの中には数十冊のノート
があった。一冊一冊読んでいくうちに、ついに見つけた。13年の時間
が経っていた。それを今からここに記して行こうと思う。
1997.4.21
お母さんが倒れてしまった。くも膜下出血。
意識が全然ないまま いま病院にいる。
この先どうなるんだろうとか あまり頭が動かない。
悪い夢のようだ。
治ってほしい。生きていてほしい。ずっと生きてほしい。
お母さん、気分はどうですか。やっと夜が来ました。
何を言えばいいかわからないけど、絶対回復して下さい。
何か謝ってばかりいた。心配ばかりかけていた。いつもそうだ。
色んなものを整理して何も分からなかった。1番イヤなことだ。
お母さんはお母さんだ。お父さんのことも心配だ。
夢の中に出て来て下さい。明日も行きます。
ありがとうと言えばイヤなので、これから何でもします。
お母さん、頑張って、お母さん頑張って、テレパシーが伝じろ。
改めて読み直してみると、自分が書いたのによく意味が分から
ない文もあったりするが、まさに「頭が動かない」状態だったのだ
ろう。ただ僕は、その日記を書いている時に唯一番覚えている事が
あった。
母はいつも晩御飯が出来ると、2階の僕の部屋に向かって大声
で「大ちゃ~ん!ごはん出来たよ~!」と叫んでいた。僕が日記
を書いていたのはちょうど晩ご飯の時間だった。いつもならそろ
そろ母の声が下から聞こえてくるはずだった。けれど今は…。
その悲しさが胸をギュッと締め付けて、あまりの淋しさに僕は涙
をポロポロこぼしながら日記を書いていた。そのことだけは今で
もはっきりと覚えている。
いとしき人へ16
病院での1日があっという間に過ぎて夜になった。父と妹を残して僕
はまた家へ帰ることにした。
昼間は近所の方がいろいろ片付けるてくれたり、親戚が来ては母の
様子を話していたり、家の中は賑やかだった。今はそのほとんどが帰
られて、僕の他には何人かの方が残っているだけだった。会話をする
気力も残っていなかった僕は、2階の自分の部屋に行った。
部屋に入ると椅子に座り、今日の出来事がまだ本当に自分の家に起
こったのか信じられない思いで、茫然としていた。そして、机の上にあ
るノートを見つめていた。
僕は中学の頃から日記を書いていた。当時はインターネットのブロ
グなどあるはずもなく、薄い大学ノートに毎日ではないが、思ったこ
となんかをとりとめもなく綴っていた。そのノートを眺めているうちに
僕は今日の事を書こうと思うようになっていた。今日の出来事は書い
ておかなければいけない。妙に冷静な自分がいるのが不思議だった。
そのノートは今は押し入れの奥深くにしまわれ、あれから今日まで一
度も開いていない。読み返す事なくしまわれた日記。その日記を僕はこ
のブログを書く前に探し出してみた。段ボールの中には数十冊のノート
があった。一冊一冊読んでいくうちに、ついに見つけた。13年の時間
が経っていた。それを今からここに記して行こうと思う。
1997.4.21
お母さんが倒れてしまった。くも膜下出血。
意識が全然ないまま いま病院にいる。
この先どうなるんだろうとか あまり頭が動かない。
悪い夢のようだ。
治ってほしい。生きていてほしい。ずっと生きてほしい。
お母さん、気分はどうですか。やっと夜が来ました。
何を言えばいいかわからないけど、絶対回復して下さい。
何か謝ってばかりいた。心配ばかりかけていた。いつもそうだ。
色んなものを整理して何も分からなかった。1番イヤなことだ。
お母さんはお母さんだ。お父さんのことも心配だ。
夢の中に出て来て下さい。明日も行きます。
ありがとうと言えばイヤなので、これから何でもします。
お母さん、頑張って、お母さん頑張って、テレパシーが伝じろ。
改めて読み直してみると、自分が書いたのによく意味が分から
ない文もあったりするが、まさに「頭が動かない」状態だったのだ
ろう。ただ僕は、その日記を書いている時に唯一番覚えている事が
あった。
母はいつも晩御飯が出来ると、2階の僕の部屋に向かって大声
で「大ちゃ~ん!ごはん出来たよ~!」と叫んでいた。僕が日記
を書いていたのはちょうど晩ご飯の時間だった。いつもならそろ
そろ母の声が下から聞こえてくるはずだった。けれど今は…。
その悲しさが胸をギュッと締め付けて、あまりの淋しさに僕は涙
をポロポロこぼしながら日記を書いていた。そのことだけは今で
もはっきりと覚えている。
いとしき人へ16