10からの続きです         いとしき人へ10


 姉と妹に電話をかけ終えた僕は、病院のベンチに父と並んで

座っていた。どちらも全く言葉を発することなく、無言の時間が

流れた。どれくらいそうしていただろう。診察室から医師が現れ

こう告げた。「とりあえず中に入りましょう。」

 父と僕はお互いに顔を見合わせて、診察室へ向かった。



 「まあ、どうぞ、おかけください。」

 医師の勧めに、椅子に腰かけた僕たちの目に飛び込んできたの

は机の上のレントゲン写真だった。母の頭のものだとすぐにわかった。

  その何枚かの写真を見ながら、医師が説明を始める。

 「えー。奥様の頭部の写真です。」

  父に向かい、そして僕の方にも目をやりながら続ける。

 「こことここ、分かりますかねえ。血が溜っています。恐らくトイレで

用を足しているときに、血管が切れたと思われます。いわゆるくも膜下

出血というやつです。

  「・・・」

 父も僕も言葉が出なかった。

 「くも膜下出血・・・」

  テレビのドラマの世界、あるいは小説の中でしか耳にしたことのな

い言葉が、いま目の前で事実として存在していた。


   医師は続ける。

 「奥さんの場合ですが、かなり脳の深い部分の血管が切れてまして

 う~ん、これはちょっと手術できないのですよ。」


   「!!!」

  いま何て言ったのか。医師がどう言ったのか。僕の頭は真っ白に

 なった。しかし、そうしている間も説明は続いていく。

  「ですから、そういう訳です。非常に残念なのですが・・・」

  あまりの衝撃に、父も僕もしばらく無言でいたが、父がこう問い

 かけた。

  「本当に出来ないんですか?家内は・・・つまり・・・」

  「お気の毒ですが・・・」

  2人の会話を横で聞いていた僕に、絶望感がもくもくと広がって

 いく。おかあさんはもう・・・嘘や・・・嘘や・・・


  その後の説明は憶えていない。ただ、母はまだ生きてはいた。し

 かし意識はないということだった。父と診察室を出た僕は、なすす

 べもなくうなだれていた。そんな僕に向かって父が言った。

  「大、ええか、しっかりせいよ。おかあさん、そういうことや。」

  当然父もショックは同じだ。いや、僕以上かもしれない。けれど今

 は泣いていても始まらない。事実を受け入れるしかないのだ。諦め、

 絶望感に襲われながらも、父はさらに言った。

  「今から親戚の人が来るやろ。お父さんも後で帰るから、お前は

 まず家に帰れ。そして病院に来たい人にはそうしてもらえ。ええな?」

  「うん、分かった」

  「よっしゃ」

  
  父とはそこで別れた。恐らくその後父は、医師の説明をさらに聞く

 ことになっただろう。そして心の準備をし、これから先どうすればい

 いいのか、考えていただろう。

  僕はと言えば、ただもうショックで、気が付くと家に着いていた。


                 いとしき人へ12