小学生の頃。

「2大礎(いしづえ)」「2つの礎(そ)」

今でも信じて疑わない、2人の先生との出会いによって、

作文に矯味を示すように、わたしはなった。


「コメントが、、、」とか、「皺光る、、」とかで検索して

頂ければ、出てくると思う。

夏ぐらいであっただろうか?

ひたすら、その方面ばかりを書いていたのは。

ヘタなんだけど、何となく萌芽を見るような作文でー。


学年が上がるに従い、

「上手だね」時々の評判をとるようになっていた。

けれど、だらだらと。

全体的に締まりのない、ただダラダラと書いただけだったように

今からしても、見受けられる。

「詳しく書く」との「例え」に、やたら凝っていた時期だ。


中学の頃。

多少、文章は向上したけど、まだ、だらだらと書いている。

癖だったのか?すっきりさが、まるで見受けられない分である。

高校。

やっと、変化が訪れる。すっきりとして来たのである。

新聞に投稿をし始めた。コラム欄。

中学生とか、高校生が主対象の、コラム記事である。

葉書一枚に、収めなければならないから、必然的になってゆくのだ。

余計なものは置いておく。付録程度でいいのである。


2大礎(いしづえ)に出会ってから、約10年。

ようようわたしは、自分の文章が確立できたような気がする。

更に更にの月日が経った昨今だけど、基本的に以降の変化はない。


自分で出来た。考えられた。

実行に移せたたのが、最大限の収穫なのではなかろうか?

嗚呼!

これが学校のお勉強だったら、良かったのに。

なぁ~んて、野暮ですよね、余計を言うのは。


「私の履歴書」某新聞にあり、「私の遍歴」三島由紀夫にありますけれど、

「わたしの履歴書 文章版」なんであります、宜しくね。


 

 ※以前にも同じような事を書きましたが、最近、お初の訪問者。

   はじめましての人も増えましたので、再び書きました。