○救わるは 時代ぞ未来(これから) ますますの

    社会の注目 介護者家族


   ※母の所へ、今日も。

     「現状維持の為」

     「殆ど向上は見込めない。あったとしても一時的」

     現実なんですよね、介護の。

     赤ちゃんやら幼児だったら未だ

     「今は大変だけど、来年ぐらいにはおむつが取れる」

     「喋れるようになる。歩いてくれる」

     「幼稚園に行ってくれるなぁ、やれやれ」

     って思えますけど、全く以て違いますもん。


     良く、「産んでもらって、育ててくれたんだから」

     どんな苦労も当たり前で云々、なんていう人がいますけど、

     分かってないんじゃないですか。

     それとも、殆ど係わっていないとか。

     綺麗ごとですよ、そんなん。

     毎日、毎日、毎日、毎日。

     知らず心は荒廃、気持ちは憂鬱。

     日々刻々とゲンナリするだけ。

     やさぐれてしまうんです。


     一時期よりは楽になりましたけど、ウチもまだまだ

     大変です。

     

     で、救いをどこかで求めている。

     

     このような時代。

     高齢者問題がこれだけ社会的に注目され、様々報道され、

     施設1つを取ってみても、向上がなされるようになってきた時代。

     こういう時代で良かったと思うようにしています。

     

     それこそ明治の前から、こういう問題はありましたでしょ。

     今でいう「若年性アルツハイマー」みたいな人とか。

     けど「家族が」最後まで面倒を見て当然、的な風習が長かった

     んですよね。

     50年前の東京オリンピックの時代だってそうでしたでしょうし、

     札幌五輪の頃だって大差はないでしょう。


     22、3年前、祖母が何となくなってしまった時に、やっと社会が

     真面目に注目しだしたんです。

     そこへゆくと、幸せな時代なんですよね、今は。

     そう思うようにしています。    

     

     「これから一人っ子が大半になる。介護はどうするのか?

     誰が、ヨボヨボになった自分の親のお世話をするのか?」

     時折、ニュースで報道されていますよね。

     

     (だわねぇ)

     一人っ子の姪の将来を想像しながら、わたしも関心を持って

     いたんですけれど、結論が出ました。

     「いいじゃん、いいじゃん。その頃には、介護ロボットがうんと発達。

     感情を持ち、なおかつ忠実に介護をこなしてくれる彼らが、介護の

     主役となるだろうから。孫さんところがやりだしたし。何とかなるわよ、

     心配しなくて大丈夫!」

     ホントになったりして、ね。