何ともいえない。

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新生児取り違え事件。

60年前の日本で、昭和28年の日本で、実際にあった出来事なのである。

極端に違う背景をたまたま持った新生児が、たまたま取り違えられてしまったのだ。

昭和28年というと、まだまだ自宅出産も多かったであろうから、返す返すも、何とも言えない

気がしてくる。

病院側が謝罪し、多額の金額を支払い一応は解決。

「すごいですねぇ」

「病院でねぇ」

「いたたまれないですよねぇ」

が、一般的な世間の見方である。

当然、わたしも思うけど、しかし「病院」、しかし「(当時でいえば)看護婦」。

曰く「人間」が絡む様々な事件となると、完全に取り去るのは難しいように

思われるのだ。

大昔、岸田今日子が出ていたドラマにも、そんなようなものがあったし、

藤田弓子が主演したドラマ「母と呼ばれて」も、ある程度成長してから実

の我が子を引き取り、共に生活するを旨としたドラマであった。

「誰それさんちの赤ん坊」

「誰のそれそれちゃん」

足の裏に記したり、手首にバンドを巻いてみたり。

そのようなことのないように、当然、病院は配慮しよう。

けれど、同じ日の、同じような時間帯に出産予定の人なんて、沢山いるし、

それこそ初産の人、何回目かの人との人が、何十人といる。

「水物」

そして出産するまで、何が起こるのかが分からないのが、いつの時代も

お産なのである。


まして昭和28年。

敗戦から8年しか経っていない。

今に比べて衛生状態も劣悪だったし、死産や流産といった、残念

ながらの結果を得るケースも多かったであろう。


出産そのものも、あまり研究されておらず、看護婦さんも、てんてこ舞い。

ぐちゃぐちゃで、ぐっってんぐってんに疲れ切っているのも拘らず、仕事をせざ

るを得ない日もあったであろう。


状況を踏まえると、今回のような状況は起こっても不思議ではあるまい。

「産着の色が、違っていたような気がした」

注意不足としか言いようがないが、時間に追われ、疲れ切った状態だと、

人間は、おそそかになりがちになるのだ。


良く、輸血パックの血液型を間違え、患者が云々というのもあるが、典型だと思う。


何年か前、やはり病院で取り違えられ、親子関係がないのが分かった人が、

病院を提訴しようとしたが、既に廃院となっていた旨の思い出す。

 

現代なら、性能のいいカメラで、予め赤ん坊を写真にとっておくこともできるから、

まずは起こらないと思われるが、人間のすることに「完璧」はまず、ない。


一応の解決を得て、男性は、どのような感情を持ちながら、2つの家の人々と

関係を持つのであろうか?