「教師生活25年!」
ど根性ガエルで、何かというと町田先生は、絶唱をしていたけれど、
「埼玉住んで25年」
呟くようにわたしは思う。
来年で丁度、25年。
平成元年だか、2年だかから住んでいるのだ。
西武球場・ライオンズ。
スーパーアリーナ・吉見百穴・鉄道博物館等々。
やたら観光名所がある。
本木雅弘・久米宏・土田晃之(てるゆき)などなどなど。
出身地者も、多々にある。
そして伴う県民性
「日本一、自分の住んでいる地域の出来事に関心がない」
番付が常に一位というので有名だ。
なぜなのか?
元は部外者。
親戚縁者も全て埼玉県外にいる、わたしが言えないことかも
知れないけれど
「そこそこにいい」
が、元から備わっているからではあるまいか?
「住みやすいですよ、激安店がない所がない」
森卓さんこと、森永卓郎さんが以前、テレビで盛んに言ってらしたけど、
わたしも思う。
少し歩けば、スーパーがある。
各々適当に売り出し日があり、品揃えもいい。
千葉や愛知にいた時分、このようなことはなかった。
スーパーがあるにはあったか、ひしめきあってる。激安である。
なんてことはまるでなく、特売してても正規に近い値段であった。
交通の便も、そこそこだ。
高崎線が走っている。
群馬に繋がる路線である。
大宮駅から乗り換えれば、県内&県外へ。
一寸時間はかかるけど、埼玉県の広さを実感できもしよう。
「買い物」そして「交通の便」
住む視点の2大要素であるならば、最初からそこそこ備わっている埼玉県
が優位なのではあるまいか?
「そこそこ」
というの事は、言葉を換えれば
「良くもないけど、悪くもない」
という事である。
端的に、もっと人道的にいってしまえば
「特に必要性がなければ、現状のままで十分だ。決して悪くはならないから。
悪くなるとしても、可能性は限りなく低い」
との認識に繋がってくる。
「日本一、地域の出来事に関心がない」
淡々としている、熱くなれない。
基本的には行政任せ、行政任せで別にいい。
よっての図式が、無意識の内に出来上がっているのではないだろうか?
「埼玉住んで、25年!」
元々の部外者であるわたしは、淡々として思う。
勿論、一概には言えないが。
しかし埼玉は、街頭が異常なぐらいに少ないですなぁ。
もっと光を!街頭を!
町を明るく、暮らしを楽しくいたしませう。