実家の埼玉県某市に「大滝肉屋」があった。「大滝さんで買ってきて」と母からお使いの指令が出て、僕は、ひき肉やらコロッケやらを買いに行かされるのだ。これが大瀧さんとの初期の思い出だ。それは母との思い出でもある。

高校一年生(1981年)の頃、僕はYMOのファンであった。いわゆるテクノブーム

ある。


埼玉の県立高校に入学したのでステレオ(オーディオ)を買って貰って死に物狂いでFMラジオをエアチェックしたり、貸しレコード屋で色々借りてたのだ。近隣の三つの貸しレコード屋はそれぞれの店が在庫が違うものがあったので助かった。

僕は当時、流行っていた、ニューウェーブ等の洋楽を中心に、フュージョン等を聴いていたが、同じクラスの男子からハードロックやパンクロック等を教えて貰い、聴くようになった。


あとはまってしまったのが、ピンクフロイドとかキングクリムゾンとかのプログレッシヴロックだった。




そんな高校一年生の夏に隣のクラスのと知り合いになった。家に遊びに行ったら、ある一枚のレコードが棚にあるのを発見した。

ここで問題です。そのレコードとはなんでしょうはてなマーク

A ビリージョエルのストレンジャー
B イーグルスのホテルカリフォルニア
C 大瀧詠一のア・ロングバケーション


キョロキョロ


はい





(正解はC)


このジャケット見た事あるぞビックリマークと。レコードを借りて家に帰ったのだ。(お礼に後でRCサクセションを貸した記憶。カレはそこからRCにはまる。)

大瀧詠一という名前は当時、知らなかった。松田聖子の歌を作曲した人か、位しか知らなかった。


家に帰り、ターンテーブルにレコードを乗せて針を落とした。その瞬間の事を今でも忘れはしない。忘れられない。ア・ロングバケーション


『A LONG VACATION』は、1981年3月21日にリリースされた大滝詠一のスタジオ・アルバム。オリコン1位は獲得できなかったものの最高2位まで上がり、発売1年で100万枚を突破した。後にレコードコレクターズ2010年9月号の特集「日本のロック・アルバム・ベスト100(1980年代編)」では第1位に選ばれた。(ウィキペディアよりコピー)


ちなみにロングバケーションを抑えて1位になったのは寺尾聰のアルバム。


カセットに録った僕はそれをウォークマンでよく聴いていた。通学の時に聴いていた。埼玉には海が無いので、リゾート気分では無かったが、車窓から眺める田んぼに曲が妙にマッチしていた。そして「シベリア鉄道」ではなくそれは東武鉄道だった。しかも伊勢崎線。


特に大好きだったのは1曲目の「君は天然色」だった。最初のピョーンビックリマークってピアノの音が流れるとロングバケーションが始まる~って当時思っていた。そして何十年か経った大人になった今でもこの音を聴くとドキドキするのだ。


5にレコードを返す時に「これは凄いレコードだよビックリマーク」と興奮して言ったのを覚えている。カレはそうかあはてなマークみたいな不思議な顔をしていた。


その後、5からはもう一枚、大瀧さんのレコードを借りた。初期のベストだった。

たしかこれだったと思う。(ジャケットが思い出せない。緑だったような)



「びんぼう」と「あつさのせい」って曲がいいなあと思った。これもテープに録った。


大瀧詠一とははてなマーク


大瀧 詠一(、大滝 詠一)は、日本のミュージシャン。 シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、ラジオDJ、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、著述家、元Oo Records取締役など、多くの顔を持つ。血液型はAB型。(ウィキペディアよりコピー)


 


口笛

そして事件は起こる。当時、毎週聴いていた、NHK-FMサウンドストリートという番組があった。日替わりでDJが変わる編成で


火曜日担当の坂本龍一のが僕のお気に入りだった。ニューウェーヴ系が多く流れるのが好きだった。


その日は高橋ユキヒロをゲストに迎えて「はっぴいえんど」特集だったビックリマーク


今みたいにネットや雑誌が流通しているわけでもないので、予備知識がまるで無かった。ましてや高校生。80年代。


 


はっぴいえんどは、1969年から1972年まで活動した日本のバンド。(ウィキペディアよりコピー)



番組の中で坂本龍一が細野晴臣と大瀧詠一がいたバンドだと言っていた。それを初めて知った。松本隆はその頃は作詞家だと思っていた。


大瀧詠一は、はっぴいえんどというバンドにいたんだ。ふうん。そうかあ。その程度だった。


「十二月の雨の日」、「氷雨月のスケッチ」、「風来坊」が流れた。ライブ盤の「春よ来い」も流れた。それはテープにダビングしてよく聴いた。


4曲しかなかったんだけど。


その後、時は流れて、5と渋公に佐野元春のライブに行ったり、ナイアガラトライアングルVoL2を5から借りたりした。別の友達とRCのライブを観に行ったりした。


大学生になって小田急線沿線の某大学に通ったのだが、僕は軽音楽部に入った。軽音の先輩が経堂に住んでいて、よく遊びに行った。経堂の商店街のハズレに一軒の古本屋があった。何気なく入って、中を見てると中古レコードが売ってた。そこにはっぴいえんどのレコードがあったのだ。


これ


はっぴいえんどのファーストだ。


1985年の話だ。当時、再発されてたかどうかはわからないが、古ぼけたそのレコードは発売当時の値段が書いてあった1800円。


(もちろんCD化もされていない。)その古本屋で確か1000円で売られていて、お金を持っていなかったので先輩から1000円借りて購入した。今ではこのレコードは通称:ゆでめんとして超有名なんだけど、僕の周りの人(ヘビーメタルキッズやパンクス)は誰も知らなかった。先輩の先輩(OB)みたいな人はこれを知っていた。


このレコード買って家に帰って、5の家に電話をかけて知らせたのを覚えているが、なんて言われたのかはもう覚えていない。


家で聴いた。針を落とした。「春よ来い」イントロから凄いギターだあビックリマークとひっくり返った。実際にはひっくり返ってはいないのだが衝撃だった。あと変な教会の鐘の音。


僕が聴いてたのは、ライブ盤の「春よ来い」だったのでたいした事ないと思ったが、スタジオ盤は凄いと思った。鈴木茂は凄いと思った。


話は、はっぴいえんどの話ではなくて大瀧さんの話なのだ。

下記だらだらと書く。↓


・大瀧さんはCMの音楽をやられていて、サイダーとかの変な歌をがCMで流れていたのを覚えている。変な歌だなあと子供の頃思っていた。


ナイアガラトライアングルVol1というバンドがある。これは大瀧詠一、山下達郎伊藤銀次のユニットなんだけど、僕はずっと、山下達郎の曲しか聴かなかった。(パレードね。)山下の歌の方が速くて?好きだったからだ。今は全部聴くけど(笑)



・CDで再発化されてから、TSUTAYAで昔の大瀧さんのCDを借りた。


大瀧さんのファースト。

これに大好きな「びんぼう」「あつさのせい」が入ってた。


この↓ナイアガラムーンは傑作だと思った。レンタルで借りて聴いてからCDを中古で買った。まさに慎重派だった。

「シャックリ・ママさん」が好き。


ナイアガラ・フォーリン・スターズ

これも好きなアルバム。ピンクレディーの歌が好き。渚のシンドバッドを替え歌にした。河原の石川五右衛門。これは前は入っていなかった。


これはCDで買った。



・バンドをやるようになって、最初はビートルズフーやなんやらを聴いていたのだが、途中でビーチボーイズというバンドにはまった。そうしたら、フィルスペクターの存在に気付く。しかし、そこから大瀧さんに行くのはもっと年を取ってからだった。


何故かというと、僕はフランクザッパに若い頃はまってしまった。



中毒化してて他のCDを買うならザッパのCDを買い集めていたのだ。数年間。他に買っていいのはトッドラングレンだけという法律も作った。これは近年まで続いた。


ザッパを聴いてからは、普通の洋楽や邦楽は全く興味が無くなっていた。今では、無知な若者にもっと色々な音楽を聴けとかホルモンとかを食べながら、説教っぽく言っているが、当時の僕は全く他の音楽は興味無かったのだ。


・大瀧さんを聴くのを再開したのは、レコードコレクターズに載ってた、インタビューを読むようになってからだ。大瀧さんの傾倒しているものは


全てではないがビーチボーイズとフィルスペクター。僕と同じだったのだ。それからだ。いわゆる後追いに継ぐ後後追いだ。


そして再び事件は起こる。あるバンドを観に行ったら、対バンに凄いベースの若者がいた。そのベースの男に初対面で声をかけ、さらに二回目のライブを観に行った時に強行した。「黙って俺のバンドでベースを弾いてくれ。」


そしてやがて真相を知る。その男は自他共に認める大瀧詠一ファンだったのだ。僕は嬉しくて嬉しくてバンドの練習以外でもカレを飲みに誘い、大瀧さんの話をした。楽しくて仕方が無かった。磯丸水産鳥貴族で激論?を交わす日常だった。


・大瀧さんは既に亡くなられていて(2013年12月30日死亡)だけど我々は大瀧さんはいかに凄いかって話で盛り上がった。


レコードというものは売り上げ記録ではなくてどれだけ、リスナーに曲の良さ・素晴らしさを記憶させるかだと思う。←イミフ。



大瀧さんの事、もっと書きたかったんだけど、もう手が疲れたので終わり。

ごめんなさい。


また機会があったら書くね。