皆様こんばんは。
私の心には
人と繋がりたい欲求
と
人は怖い、人は裏切る、人は私を信頼しない
私は人に嫌われる、私は人に信用されない
見捨てられる!
と言う信念が強烈にあります。
友人が極端に少ないのもこの信念のせいだろうな。
この信念は原家族により作られた事は間違いない。
先日、心療内科で心理の先生にカウンセリングらしき事をしてもらいました。
桜餅さんはトラウマによる傷が伺える。
これから少しずつ聞いていくから探りましょう、と言っていただきました。
一緒に伴走してくださるのならありがたい。
母のエピソードを一つ。
母は私が子供の頃、いつもイライラしていた。
実家はお店を営んでいて忙しい中手作りおやつを作ってくれたのは私の舌の原点。
でもね、、父はモラハラ自己愛、同居していた父方の祖母は自分の事しか考えない上極度の心配性。
嫁である母を父と祖母でこき使いまくっていた。
で、母のストレスの捌け口は私や姉でした。
ちょっとした事で髪を引っ張られたり、
引っ張られて悲しい怯えた私や姉の表情を後で真似して父と楽しんだり。私達の前で堂々と。
私が小3.4位の時、台所のテーブルで姉、祖母、私が座り何か食べていた。
私は肘を付いたまま食べていて、その時祖母にその事を注意された。
その時、ちょうど私の目の前で背を向けて洗い物をしていた母が急に怖い苛ついた冷たい表情で振り向き、手についた水滴を私の顔にパンッと弾くように掛けてきた。
何回言えばわかるのよ!
突然顔に水滴を掛けられ、私は声も出ず、涙を堪えるのが精一杯。
そんな私を祖母がフォローしてくれる訳でもなく、無反応。
姉は私に意地悪で、こうゆう時涙を見せまいと必死にしばたかせる私をわざと意地悪そうにじ~っと見る。
私が恥ずかしいのを知っていてわざと見るのだ。
我が家ではもう幼少期には子供として子供らしく家族の前で泣く行為は暗黙で“恥”であった。
だから、親に虐げられた時は炬燵に潜って声を押し殺して泣いたり二階に行って一人で泣いた。
姉はそんな私を追い掛けてきて、わざと
下に行きなよ💢
と圧をかける人だった。
感情を感じる事を許されず、
出した場合は両親の笑いのネタにされるか、関係ない時にいきなり泣いていた事を話題にされ、恥ずかしい気持ちにさせ、私の表情を楽しむか、姉が私を監視して、そっとしてほしい時にわざと強い冷たい口調で皆のいるリビングに戻る様に言い、私は感情を抑圧して育った。
泣きたい時に我慢すると喉がぎゅーっと痛くなった。
自分の湧き出る自然な感情を信じられず
自己受容出来るようになったのは40代半ばからやっと少しずつです。