カエサル日記京都編 -37ページ目

後ウマイヤ朝の都コルドバ

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10世紀の地理学者イブン=ハウカルは、当時のコルドバについて、バグダードには敵わないものの、エジプトやマグリブやシリアのどの都市よりも大きいと伝えています。


10世紀のコルドバは、世界でも有数の都市でした。


当時のコルドバは、モスクの数1600、高官や貴族の邸宅6万300、庶民の家21万3077、店舗8万455を数え、人口は50万人を下らないと推計されています。


コルドバは洗練された文化の都でした。
クリスタル・ガラスの製造は9世紀後半コルドバで発明され、金・銀の細工師の技術はビザンツ帝国と競うほどの力がありました。


バグダードからやって来たジルヤーブは、コルドバの宮廷で召し抱えられて、ウードの演奏や歌手として名声を博していました。

彼は、バグダードの多くの優雅な文化をコルドバの市民に伝えました。


それまで料理は一度にごたごたに運ばれていたのを、今日のフランス料理のもととなった、スープからはじまってメイン・ディッシュ、デザートという料理を教えたのはジルヤーブでした。


その他にも彼は、酒杯は上品なガラス器のほうが金・銀製よりも映えることを教えたり、衣服を季節こどに着替える習慣を教えたり、コルドバに美容院を開いて髪の手入れ、白髪抜き、歯磨きの使い方を教えたりしました。


10世紀半ば、コルドバの西北7キロの小高い丘にザフラー宮殿が建てられました。


その宮殿は、大理石の柱だけでも4000本使われ、越見の間は金や銀の瓦を葺き、水盤には水銀がたたえられていました。

宮中の図書館には40万巻もの書籍が集められていました。


ザフラー宮殿は、当時の世界で最も輝く宮殿の一つだったでしょう。


何故後ウマイヤ朝は発展したのでしょうか?


それはアミール権力の強化による政治的安定と、様々な宗教・民族が共存したことにあるのではないでしょうか?


数学の時間に


今日数学の時間にやたら先生に日本史や日本の文化について聞かれました。


日本史や日本のことなどわからない自分は戸惑いました。


世界史はわかっても日本史はわかりませんよ。習ってないし。


日本史もできるように見ないでもらいたい。

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