カエサル日記京都編 -36ページ目

実は


実は期末テスト準備週間にすでに入っております。


テスト一日目まであと四日です。

テスト前半だけ紹介します。
一日目は、数2・現国・保体です。

数2が危険です。

二日目は、社B(世界史)と英語W(ライティング)です。

恐怖のライティングと得意の世界史という組み合わせです。

今回世界史は、専門のイスラーム世界なので、自信ありです。


二日目の前日は、Wに専念できそうです。


津和野高校生徒の世界史を受ける人もこのブログを見ているので、最後に今回でそうな世界史のポイントを一つ紹介しましょう。


アブド=アッラフマーン3世は、後ウマイヤ朝の最盛期のカリフで、カリフを称し、ファーティマ朝のウバイドゥッラーもカリフを称したことから、後ウマイヤ朝を西カリフ国、ファーティマ朝を中カリフ国、アッバース朝を東カリフ国という三カリフ国が誕生した。


これについてはテストで問われる。

玉座の足は移動する

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世界史の教科書をみると、歴代の王朝について、首都がどこにあったかが書かれていますが、どの教科書もセルジューク朝の首都の所在地が書かれていません。

何故書かれていないのでしょうか?


イスラーム世界での首都という言葉で私達が思い浮かべるイメージは、君主の宮殿があり、様々な官庁が並び、軍隊の駐屯地があり、大きなモスクなどの宗教建造物があり、人で賑わうバザールがあるといったイメージでしょう。


セルジューク朝の場合、いくつかの地方に分家ができ、中心が次第にあいまいになったという面は確かにあります。


しかし、それ以上に重要なことは、君主が移動を続け、ときおりある都市に腰をすえたという歴史的な経緯があったことです。得に初期の時代にこの傾向は強かったのです。


君主は、ニーシャープール、レイ、イスファハーンという具合に移動し、都市や都市郊外の緑地に滞在すればそこが中心となりました。


文書庁、軍務庁など、文献に記録がある役所も、実際には建物はなく、それを担当するものがいるところが役所となったのです。


ペルシア語では、首都を玉座の足といいます。


これをお膝元と訳す人が多いけれども、実際はさらに即物的なものなのです。


君主が座る玉座とは、かついで移動可能なものです。


ある場所に玉座がすえられれば、たちまちそこが首都となったのです。


アナトリアのセルジューク朝では、スルタン宮殿がつくられました。

南部に残っているクバーダーバードの遺跡がそれです。


都市と夏の宮殿があったところで、建設者カイクバードにちなんだ名前で呼ばれています。


このセルジューク朝の首都についての問題は進研模試の過去問で問われていた問題なので注意しておきましょう。

先程の記事に載せた本について


先程の記事の画像に載せた本について感想を言わせてもらいますと、非常にコンパクトにイスラーム世界が描かれており初心者でも読める本だと思います。


皆さんもイスラーム世界入門書として使ってみたらどうでしょうか?