国際人阿部仲麻呂 | カエサル日記京都編

国際人阿部仲麻呂


奈良時代の日本人に国際人がいたその名は阿部仲麻呂。

阿部仲麻呂は717年に留学生として17歳で、遣唐使に随行しました。


留学生の阿部仲麻呂は、またたく間に唐朝廷内の出席頭となります。

30代の半ばで親王の幕僚になり、50歳をこえたころに皇帝直属の秘書管となり、従三品の大官となるほどでした。


詩人としてかなりの才能があり、李白や王維といった唐を代表する詩人たちとサロンをつくり、唐詩文に名前を残すほどの実力がありました。

安史の乱が収束に向かった760年に、仲麻呂は鎮南都護に任命されます。鎮南都護府は、安南都護府の安史の乱後の名前で、今のウ゛ェトナムのハノイにあったそうです。


阿部仲麻呂は、雲南連絡路を整備したりと、職務をはたし、767年に帰任しました。

南海交易の中心である鎮南都護は利益のある職務であり、帰任までに財産をつくるというのが普通なのに、阿部仲麻呂は清廉な役人であったためか、770年に長安で死去した時、唐から州大都督を贈位したが、まったく財産がなく、家族が貧窮であったという話しが残っています。
これを聞いた日本の朝廷が、絹や木綿を唐の使いに依託して遺族に送りました。

歌人として評価が高い阿部仲麻呂。

日・唐・ウ゛ェトナ3国の歴史に関連した日本で珍しい人物であり、最高級の国家公務員でしょう。


最後に故郷日本を思った阿部仲麻呂の百人一首にもある歌を紹介しましょう。

天の原
ふりさけ見れば
春日なる
三笠の山に
出し月かも



小学生の頃、どちらかというと日本史より中国史に興味を持っていた自分は、この阿部仲麻呂の存在を知りました。

唯一日本人で尊敬に値する人物だと思いました。

この百人一首の天の原の歌もすぐに覚えました。


百人一首意味をしるとおもしろいものがあります。


今の世の中世界に目を向けるべきでしょう。

日本は衰退する一方です。

阿部仲麻呂のように世界で活躍し、日本のためになる経験をつむべきではないでしょうか?