過激シーア派のフサインのある評価について | カエサル日記京都編

過激シーア派のフサインのある評価について

フサインとは、フサイン=イブン=アリーのことです。


フサインは、シーア派第三代イマームです。


フサインは、第四代カリフのアリーと預言者ムハンマドの娘ファーティマとの間に生まれ第二子です。


フサインの父アリーは、ウマイヤ家出身の第三代カリフのウスマーンが殺された後に即位したカリフでした。

ウスマーンの血の復讐を叫んでいたムアーウィヤとカリフのアリーは対立していました。


660年にムアーウィヤがカリフを宣言し、661年にカリフのアリーは暗殺されてしまい、これを機にムアーウィヤは、ダマスクスにウマイヤ朝を開きました。


一方フサインは、メディナに隠退していた兄ハサンの死で、シーア派はフサインをシーア派の盟主と仰ぐようになりました。


フサインは、680年ムアーウィヤが死去した後、カリフ位を継承したヤジードを認めずに、シーア派の招きに応じてクーファで反旗を翻すためにクーファに向かいました。


しかし、フサイン達は、クーファ近郊のカルバラでウマイヤ朝の政府軍に包囲されて、この軍と戦って戦死しました。

この事件は、グレゴリウス歴680年10月10日またはヒジュラ歴では61年ムハッラム10日に起きました。
これをカルバラーの悲劇(カルバラーの戦い)と言います。

彼の死でシーア派の政治的運動は、頓挫して、以後シーア派の運動は宗教的色彩を強めていきました。


フサインの殉教は、以後のシーア派の精神的拠り所となっていきました。


サファヴィー朝以後イランのシーア派ムスリム(信者)達は、フサインの死を悼んで、毎年ムハッラム月の最初の10日間、殉難祭を行い、最終日の10日目に祭は頂点に達っします。


しかし、中央公論社世界の歴史シリーズイスラームの巻き(多分6巻)にて、この祭を伝える文章に驚くべき考えが書いてあるのを読みました。


狂信的な信者がフサインは神なりといいながら自らの身体を傷つけるそうです。

ここで僕が問題にしたいのは、フサインは神なりという言葉です。


イスラームの教えでは、アッラーの他に神はないはずです。

ムハンマドですら自らを神ではなく預言者としました。


シーア派信者には悪いですが、しかし、フサインを神と考えるのはまったくイスラームの教えに反した考えだと僕は思います。

皆さんはどのように思いますか?