正しい階段の登り方⑥
研究者にとってもっとも清々しいことは、研究徹夜明けの昼下がりに飲むコーヒーだ。
地下18階にある研究室内は試験官やビーカーが散乱し、ホワイトボードには書いた本人しか解読できない計算式の殴り書きの跡。
行き詰まっているのかパーティションの向こう側で絶叫している者や、本人なりの大発見があったのか遠くで高笑いする者。
熱心な研究者に至っては大人用オムツを履き、セキュリティーレベル10の独居室にこもり、内から自分で鍵をかけ一ヶ月こもる者もいる。
正しい階段の登り方を研究する我々は、そんな不健全な研究室で人生の大半を過ごす。
休憩のコーヒーといっても飲む場所は地下3階のレクリエーションルームで決して地上に出ることはない。
何故か?
答えは実に単純である。
「階段の幻視、そして視覚睡眠によるデクノスティック化から逃れるため」だ。
前回記載した通り、階段はもはや人類の生活をサポートする構造的上下推進簡易化補助物ではなく、デクノスティック化した人類を操り、己の欲望のままに構造物の破壊と創造を行なう人類にとって、明確なエネミーなのだ。
その悪意に気付いた我々は階段のある世界から隔離されたこの研究所で、日夜正しい階段の登り方について研究している。
当然、我が研究所には一つの階段も存在せず、フロアの階移動は我々が「蜘蛛の糸」と呼んでいる縄ロープで行なう。
さて、休憩のコーヒーが格別に美味かったからか、ペンが思いのほか進むので、このまま今回のテーマを深堀したい。
つまり、「より実践に近い、正しい階段の登り方」についてだ。
この命題に関する根本的な解は、我々のように階段から隔離された世界に住むことであるが、現在のように階段に溢れた世界ではそのようなことは不可能である。
そこで次に重要になるのが、デクノスティック化されないように階段の「段差」を見ないことだ。
一度でも「段差」を見ると、奴らは無音・無機質で人間が気付かない無慈悲な幻視を機銃照射の如く容赦なく向けてくることになる。
従って、実践の基礎としては、「階段を登る時は下を見ず、階段を登った先にあたる上を見ながら登ること」だ。
更に言うと、春の木漏れ日や初夏のそよ風のような暖かく風のある時期であれば、思わぬ特典がついて来るかもしれないというオマケつきだ。
ただし、だ。
上記のような登り方は根本的な解決にはならない。
例えば、登っている最中にポケットの中にある定期や携帯を落としてしまった場合はどうなるだろう?
落としたものを拾うため、当然のことながら眼下を見ることになる。
そうなると幻視の餌食となり、あなたのデクノスティック化が始まってしまう。
では、次のステップとして目隠して登るのはどうだろうか?
これも根本的にはアリだ。防衛のための最善策は段差を見ないことであり、目隠しであれば一定の効果を得られることになる。
しかし、この案には盲点がある。
目隠しした場合、自分の位置感覚が分からなくなり、手すりにつかまるだろう。
だが、気を付けて欲しい。その手すりも階段の一味なのである。
手すりは近代に備わった登るための補助機能と思う方が殆どであろうが、デクノスティック化した人間が階段の指示のもと、人間を引きずりこむための補助機能として取り付けられたのが本当の理由なのだ。
人間には「三点非均等運動時の均衡化確認戻しの法則」が備わっており、左手で手すりにつかまり両足が交互に昇降行為を行なうような、3箇所が違った動きを行なう際には重心の位置補正を行なうため眼下を確認する習性がある。
手すりにつかまって登る際、あなたにも身に覚えがあるだろう。
つまり、階段はその習性を逆手にとり、わざと下に目を向けるように手すりを備え付けたのだ。
そのため目隠しして登る場合、手すりに頼らないように自分の両腕を後ろ手に縛り上げて登るのがより賢明な安全策と言える。
以上、実践の初歩について今回はご紹介させて頂いた。
物語は加速する。
応用編やチヨコレイトの法則、そして正しい階段の登り方の核心について、次回以降でいよいよ踏み込んで行こうと思う。
これは我々人類と、人類に対して無言の宣戦布告を行なっている階段との勝者のみが生き残る、熾烈な淘汰の戦いなのだ。