川島なお美(1960〜2015)の音楽活動というと、ほぼ1980年代始め〜中盤の東芝EMI時代の80曲程度とみていいが、実際には1979年のデビュー当初にシングル1枚・1990年代後半にシングル2枚・2009年にシングル1枚をリリースしており、いちおう長い芸能活動の大半をカバーしている。むろんその存在は知っていたが、ネットオークションなど存在せず中古レコード店頼みだった若い頃にはデビューシングルなど探しても出てこなかったし、その後の川島への念の紆余曲折から長らく聴いてみようという気にはならなかった^^; しかし、川島歿後10年を経て当サイトの原稿を増補改訂して川島の音楽活動を総括したものを書きたいと思うようになったのもあり、このたびヤフオクやらメルカリやらを駆使してすべて収集するに到った。これらは本来当サイトで採り上げる対象外とはなるが^^;、いままで書いてきたアルバム評の補足と解釈して、ひととおり紹介することとする。

 

川島は高校在学中にスクールメイツに所属して歌とダンスを学び、平尾昌晃の音楽教室に通っていたという。そのような経緯を辿ってのデビューであるので、まず歌手としてシングルレコードを発表したのは必然であったのかもしれない。しかしテレビ出演などほかの活動の方が主体となったのかセールス面でいまいちだったのか、デビューシングル「シャンペンNo.5」(1979)を1枚出したきりで音楽活動はストップし、東芝EMIに移籍してのセカンドシングル「ハネムーン」(1981)までブランクとなった。デビュー曲となった「シャンペンNo.5」は年代の違いのためもあるのか東芝EMI時代の曲とはやや毛色の違う感もあるが、ラテン的なタッチのあっけらかんとした曲で、それなりに楽しめるものだ。これに対して、カップリング曲「あなたの胸はドリームランド」の方はセカンドシングル「ハネムーン」にやや接近したような曲調である(馬飼野俊一作曲編曲)。年代なりのほんわかとした雰囲気を感じる。

 

時代は下って、1990年代後半にリリースされた2枚のシングルは、おそらくテレビドラマ「失楽園」「くれなゐ」視聴者をターゲットとして東芝EMI時代のポップスを聴いていた層よりも高年齢層を意識したのか、東芝EMI時代とは作風が異なるものとなっている。特に「失楽園」放送終了直後の時期にリリースされている「涙の海」「愛の嵐」をカップリングした1枚(1997)は、ライトな演歌といってもいいくらいのものだ。これに対して、翌年「くれなゐ」のエンディングテーマとなっている「薔薇の花みだら」(1998)は、作曲幸耕平・編曲今泉敏郎というコンビは同じながら、作詞が阿木燿子であるのもあってずっと違和感なく聴ける(なお、「涙の海」「愛の嵐」の作詞は松本礼児)。「薔薇の花みだら」はタイトルが煽情的なのに疑問を感じるくらい、落ち着いた雰囲気の味わいの深い曲だ。カップリング曲「炎の微笑」も阿木の詞だが、「薔薇の花みだら」より動きを感じる曲調でやや予定調和的な進行に物足りなさが残る。なお、阿木は東芝EMI時代のアルバム「銀幕のヒロイン」(1984)にて2曲詞を提供しているが、いかにも川島に言われるまま書いたという感じの阿木らしくないものという印象だったので、ここで本領発揮してくれたのはうれしい。ちなみに、90年代の4曲を作曲した幸耕平はデビュー曲「シャンペンNo.5」の作曲者でもあるという奇遇ぶりである。

 

しかし、今回入手したシングル4点中で最も重要なのは、川島の芸能活動30周年を記念してリリースされたとみられる「Actrice」「偶然の後で」をカップリングした1枚(2009)だろう。「Actrice」は鎧塚小々夏のペンネームにて川島自身が詞を書いている。実に23年ぶりということになるが、自分は1990年頃横須賀のさいか屋にて行われたイベントにて川島が「いつかまた自分で詞を書いてレコードを出したい」と発言していたのを聞いているので、それが実現したものという意味でも感慨深いものである(あくまで質問されたからそう答えたというだけでどれだけ本気度があったものかは分からないが)。曲調は東芝EMI時代の曲に比べるとずっとアグレッシブで、当時50歳直前だったはずの年齢を感じさせないものだ。しかし、カップリング曲の「偶然の後で」がさらに感銘深いものだ。詞は東芝EMI時代のサードアルバム「シャワーのあとで」(1983)以来26年ぶりの提供となる秋元康だが、秋元が川島のリクエストに基づいたのかあるいは忖度して書いたのか、いかにも当時の夫君となっていた鎧塚俊彦との関係を念頭に置いたかのようにみえる詞になっていて感動的な曲となっている。亡くなる6年も前の曲を「白鳥の歌」と形容するのも違和感があるが^^;、川島生涯最後の曲としてふさわしいものであるといえよう。