1981年7月11日 機動戦士ガンダム2 哀 戦士編公開

 

その直前の6月30日、ホビージャパンから「ハウトー build Gundam」が発行されている。

手元にあるのは復刻版だが早くも湿地帯06、06K、06M、06Dの作例が掲載されているのには

驚く限りだ。

「MSV THE FAST」によれば「劇場版アニメグラフブック機動戦士ガンダム」の発売は81年4月15日。

 

そこからふた月での立体化、リアルタイムで体験していたらどんな感動があったのだろうか。

因みに徳光康之先生もこのタイミングで黒い三連星ザクを見て衝撃を受けたんだろうな…

などと考えてしまう。

 

余談だが300円ザク改造作例の06K、06Dは後に「プラモ狂四郎」で天満兄弟の機体として登場する事になる。

この話は82年7月号掲載らしい。という事は、「how to~から一年後というタイミングである。

06K、06Dのプラモデルリリースは83年、4~5月。一般的なプラモ少年の手元に届くにはさらに1年弱の時間を要した計算だ。

 

8月5日(奥付)には「機動戦士ガンダムTV版ストーリーブック3」が発売

この書籍には後のRX78-1、RGC‐80が掲載

ここで連邦側のMSVが初登場になる。

(多分だが7月5日のリリースではなかろうか…)

 

 

8月27日にはガンダムセンチュリーが発売。MSV的にはとても重要な書籍なのだが、当時のガンプラ好き少年はこの書籍を

どれぐらい手に取ったのだろう?すこし上のお兄さん達にとってのバイブルだったんじゃないかというのが私の感想である。

 

 

 

 

この年からもうガンダムに夢中になっていた少年達にはとても刺激的な夏だったのではなかろうか?

私はその頃まだガンダムといえばテレビマガジンの少しの記事を目にする位で、残念ながらその熱気はわからない子どもだった。

 

「哀 戦士編」を観て映画館を出てくる夏の夕方はどのような暑さをともなっていたのか。

想像と羨望である。