∈画像①クリックしてね!

🔄画像①は、このサイトより引用

 

 

                    

 

 

 

∂この命、義に捧ぐ 

台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 (角川文庫) 

門田 隆将  (著)  形式: Kindle版

 

 
 
 

 

∂読者レビューより引用・編集

本書は陸軍中将、根本博

∂根本 博
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/根本博

 

 

Hiroshi Nemoto.jpg

中華民国陸軍軍服姿の根本博

生誕 1891年6月6日
日本の旗 日本 福島県岩瀬郡仁井田村
死没 1966年5月24日(74歳没)
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

中華民国陸軍の旗 中華民国陸軍

軍歴 1904年 - 1945年大日本帝国陸軍
1949年 - 1952年中華民国陸軍
最終階級 帝國陸軍の階級―襟章―中将.svg 陸軍中将大日本帝国陸軍中華民国陸軍
除隊後 中華民国第5軍管区司令官顧問

の数奇な人生を描いたノンフィクションだ。終戦直後に本国からの武装解除の命に反して、ソ連軍と戦いながら在留日本人の内地帰還と北支那方面の35万将兵の復員を終わらせる。その道中、助力してくれたのが蒋介石の国民党軍だった。根本は、蒋介石の恩義に報いる為、国共内戦で敗色濃い彼を支援するべく台湾へ密航する。著者は緻密に軍の関係者や遺族に取材されていて、内容も出色の出来。
満州に隣接する内蒙古の日本軍司令官・根本博陸軍中将は、終戦直後、在留邦人4万、配下の軍人35万を従えて、本国からの武装解除の命にあえて反してソ連軍と戦いながら、北京・天津を経由して日本への帰還を無事果たす。道中、助力してくれたのは蒋介石の国民党軍だった。   1949年、国共内戦に敗れた国民党軍は台湾に渡り、押し寄せる共産党軍と廈門・金門島を挟んで対峙するに至る。まさに破滅の淵に、根本博は少数の仲間とともに粗末な舟で危険を冒して渡海して参戦する。受けた恩義にただ報いんとするためである。戦神と呼ばれた根本博の活躍により、10月24日からの古寧頭の戦いで共産党軍およそ3万は壊滅し、共産党の台湾侵攻は挫折した。しかし、この激戦に旧日本軍将校が参与していたことはタブーとなり、いまや忘れ去られている。
<コメント>
 蒋介石は日本留学経験者で日本高田連隊の隊付将校、国民党軍指揮幹部は日本の陸軍士官学校卒業者が多かったので、日本人の気質及び日本軍人の軍律の厳しさを熟知しており、天皇陛下の終戦ご聖断に真摯に従う姿が良く理解できたと思われる。 従って、蒋介石及び国民党軍指揮幹部側も武士道精神に則り、日本軍人の気持ちを忖度して丁寧な降伏調印式と武装解除の対応をしたと思われる。
 もしも根本博陸軍中将が満州駐留の日本軍司令官だったら正面のソ連軍との戦闘と無事帰還は困難であったと思われ、根本博陸軍中将が内蒙古の日本軍司令官であったことが内蒙古在留邦人と兵士にとって、また後の蒋介石にとっても幸運だったと思われる。
 そしてもしも、GHQ占領時の1949年に、家族には釣りに行くと告げて釣り竿一本携えて苦難の密航までして台湾援助に駆けつけた根本博の「戦神」と称えられた軍事貢献がなかったら、台湾は中共に占領され、戦後の日本及び北東アジアの運命も大きく変わっていたはずで、正に、根本博は戦後の日本と台湾の救世主の一人だったと思われる。 そして、これにより中国大陸のごく傍にある金門島が、何故今も台湾領土であるかの理由が理解できる。
 まさに現代版「七人の侍」。 
 医学博士でもあった後藤新平は、インフラ整備をはじめ、台湾の衛生観念教育から病院・予防消毒事業団設立など衛生改善策を実施し、台湾からあらゆる伝染病が消滅し、台湾の発展に大きく貢献した後藤新平は「台湾近代化の父」と呼ばれた。
 また、それを引き継いだ明石元二郎総督は「台湾教育令」発布、水力電力事業、司法制度改革、縦貫道路の着工、鉄道などの交通機関の整備促進その他を実施した。 「余は死して護国の鬼となり、台湾民の鎮護たらざるべからず」と遺言して台湾の土となった。
 そして、根本博・吉村是二(通訳)の一行を台湾密航させるべく貢献したのは、明石元二郎総督子息の明石元長氏であり、台湾を愛し骨を埋めた明石元二郎総督の思いが彼らを動かし、その加護で無事に台湾に辿り着いたのかもしれない。
 ところで、ブログStud Dog Walke [・・・] において、「花瓶は、3組(2つで1組)作られ、皇室とエリザベス2世に送られ、1組は蒋介石が記念にとっておいたそうで、ひとつは蒋介石を記念する台湾・中正紀念堂に、他の一つを、感謝と友情の証として根本博に送りました。蒋介石については色々な面がありますが、この花瓶の秘話は日本人も台湾人も知っておいた方が良いと思います。」 とあるが、著者の動画「台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」∈https://m.youtube.com/watch?v=G848qRnqsto

 

 

を注意深く見ると、蒋介石が感謝と友情の証として根本博に贈った花瓶の図柄は、釣り竿を持った老人であり、日本から釣り竿一本携えて苦難の密航までして台湾援助に駆けつけた根本博にまことに相応している。

蒋介石も粋な人物、そして、蒋介石と根本博は真の漢!

 

∂台湾

https://jp.taiwan.net.tw/

 

 

 

LocationTaiwan.svg
地理
場所 太平洋
座標 北緯23度46分 東経121度0分 / 北緯23.767度 東経121.000度
面積 36,197 km2(13,976 sq mi)
面積順位 136位
最高標高 3,952 m (12,966 ft)
最高峰 玉山
行政

中華民国の旗 中華民国

首都 台北市
最大都市 新北市(人口3,997,189)
人口統計
人口 23,590,744(2019年時点)
人口密度 650 /km2(1,680 /sq mi)
民族 96.7% 台湾漢民族(閩南人客家人外省人)
 2.3% 台湾原住民

 

∂著者について

門田 隆将(かどた りゅうしょう)

∂門田 隆将
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/門田隆将

 

(かどた りゅうしょう)

生誕 門脇 護
1958年6月16日(62歳)
日本の旗 日本高知県安芸市
国籍 日本の旗 日本
教育 中央大学法学部政治学科
職業 ジャーナリスト
活動期間 1982 – 現在
肩書き ジャーナリスト
ノンフィクション作家
公式サイト www.kadotaryusho.com

1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、出版社に勤務。雑誌メディアを中心に、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなどの幅広いジャンルで活躍する。
2008年3月、出版社を退職し、ジャーナリストとして独立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

∂内容(「BOOK」データベースより)

在留邦人4万人、無事日本に帰還!その恩義を返すため、将軍は、漁船で台湾へ向かった…。60年の歳月を経て今、明かされる日本人司令官の知られざる生涯。 --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。

∂著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

門田/隆将
1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。雑誌メディアを中心に、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなどの幅広いジャンルで活躍している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_bunko版に関連付けられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

∈画像クリック🔁開けゴマ 

Open Sesami