∂ゆびきりげんまん―ガンで逝った夫と妻の“恩愛の記” (日本語)
単行本
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∂ゆびきりげんまん―ガンで逝った夫と妻の“恩愛の記” (日本語)
単行本
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∂内容(「BOOK」データベースより)
発見された「ガン闘病日記」と家族、友人に宛てた愛の書簡。「生きる」ということ「死ぬ」ということ。人間の尊厳を問いかけるホスピス。妻が綴った俳優高橋悦史との最後の2年間。
∂内容(「MARC」データベースより)
すい臓ガンであることを自ら公表し、人間の尊厳を問いかける壮絶な闘病生活を送った夫の姿を、妻の目から綴る。家族や友人にあてた手紙と、本人によるガン闘病日記も併せて収録。
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∂高橋悦史
宮大工の息子として大阪府岸和田市宮本町に生まれ、大阪府立岸和田高等学校から、1954年立教大学文学部英米文学科に入学(野際陽子は同学科の同期であり、大沢啓二は同校の3年先輩。長嶋茂雄と杉浦忠も立教大の同期)。在学中から演劇に関わり、演出も手がける。
1958年大学卒業後、TBSラジオ劇団養成所を経て、NHK俳優養成所に入り1960年卒業。NHKでは舞台や脇役俳優や声の吹き替え(飯沢匡脚本『ブーフーウー』の狼役等)の仕事に従事する。
1964年、本格的に新劇俳優を目指し、文学座付属演劇研究所に入り、卒業後、文学座研究生となる。1964年、NET『徳川家康』にテレビ初出演。1965年には、吉永小百合主演の日活映画、『私、違っているかしら』に出演し、映画デビューを果たす。
1967年、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』の青年将校役に抜擢(
ばってき
)され、注目を浴びる。以後、岡本監督の作品に立て続けに出演し、性格俳優として欠くべからざる存在となる。特に、『日本の首領』、『戦争と人間』、『金環蝕』、『青春の門 自立篇』、『皇帝のいない八月』などの大作映画には重要な役どころで出演した。
また、舞台でも『花の館』で1970年、芸術祭優秀賞[2]を受賞するなど活躍。テレビでも『鳩子の海』、『おしん』、『鬼平犯科帳』など多くの作品に出演した。
1994年3月、癌が見つかり夏に入院、翌年には病名を公表し、闘病生活を続けつつ撮影にも臨み、闘病手記と写真も公表した。いったん退院したが、1996年4月に再発し、5月19日に膵臓癌のため死去した。60歳没。
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