∂庭とエスキース
奥山淳志
| 庭とエスキース [ 奥山淳志 ]
3,520円
楽天 |
∂読者レビューから引用
『庭とエスキース』(奥山淳志著、みすず書房)は、世にも珍しい本と言えるでしょう。若き写真家が、北海道の小さな丸太小屋で独り自給自足の生活を送る「弁造さん」の姿を14年に亘り撮影し続けた写文集だからです。
1998年の4月の終わりに、25歳の著者が、79歳の弁造さんを訪ねた時のこと。「『ちょっと、こっちに見せたいものがあるんじゃ』。弁造さんはそう言って、僕を庭から続く、カラマツやナラが立ち並ぶ斜面の方へと誘った。初めて訪れる弁造さんの庭。そこは弁造さんの王国そのものだった。庭のランドマーク、空に向かって枝を伸ばすメープルはもちろんのこと、木々のほとんどは弁造さんが植え育てたもので、庭の中心にある池も弁造さんが掘ったものだった。プラム、サクランボ、ブルーベリー、ハスカップなどの果樹の類、ワラビやウドなどの山菜類、背筋を伸ばすようにまっすぐに畝が伸びる畑。木も作物もひとつひとつは広々とした庭の中で点在しているのだが、弁造さんを含めたすべての存在が互いに深く結びついているとでも言えばいいのだろうか。おそらく弁造さんが毎日歩くことでできたに違いない穏やかなカーブを描く道を辿っていくと、庭を構成している木々や作物、そこにあるすべてのものたちの声を聴きながら、あるいは指先で触れながら歩いていけるような気がするのだった」。
「めぐる四季を追いかけるようにして繰り返し弁造さんを訪ね、弁造さんと過ごした時間。そこで僕は、一体何を聞き、一体何を感じたのだろうか。そして、そこから何を得ることができたのだろうか」。
「なぜ、僕は『他者』にこだわったのだろうか。あの頃、漫然と胸の中にあったのは、人は自分の人生しか生きられないという絶対の事実だった。僕はそのことを疑うこともなく、今とこれからを生きるうえでの約束のようなものとして感じていた。でも、心の奥底では自分以外の人生を知りたいと願っていた。自分ではない誰かの人生を満たしている日々の時間に触れてみたいと思っていた。理由もなく。そして、他者にカメラを向け写真を撮ることを通じてそれが可能になるのではないかと、次第に思いを募らせていった。その思いの先に立とうとしてくれたのが弁造さんだった」。
「こうした(宗教の)話になると、最後はいつも決まって死生観へと話題が移っていった。弁造さんは、『宗教を持たん人間が死を語ることは許されんじゃろう。精神やら魂が永延だなんてありゃあせんのじゃ。肉体が死んだと同時に無になる。どこにも行かんし、何にもならん。まったくのゼロじゃ。死を考える必要なんてないんじゃ。わしはそれでいいと思っとる』と繰り返した。でも、今、僕の目の前で草むらを歩いている弁造さんはそうではなかった。昨日は友人の辞世の句に心を動かされ、今日はこうして両親の墓に花を手向けている。しかも、自らの死後のために永代供養の納骨堂を申し込んだと言う。さらに寺を大切にしている。矛盾だらけでまるでデタラメではないか。でも、そう思う一方で僕はこれもまた弁造さんなのだと感じていた」。
「92歳の人生を閉じた弁造さんの生きること。それはつまらない観念や諦観めいた世界観で塗り込められることを軽やかに飛び越えていくもので、しっかりと形や熱や重さを持ったものだと思う。そう、僕たちのもっと目の前近くにあって、握ったり触ったりできるもので、たとえば風に揺れる青草であったり、道端で気ままな沈黙を続ける石ころのような。そして、この手触りのようなものこそ、弁造さんを通して知った僕の生きることだったと今になって感じている」。
弁造さんも、著者も、とても普通の人とは思われないが、読み終わってなぜか心の安らぎを覚えてしまった私なのです。本当に、これは不思議な本なのです。
∂内容紹介
〈他者を知りたい、そう思わずして写真は撮れない。
でもだからと言って言葉が、写真と同じ眼差しを持つとは限らない。
奥山さんは水底で自身を問うように、一なるものをモノローグして、確かめる。
驚くばかりの誠実な持続である。〉――小栗康平(映画監督)
北海道の新十津川町にある丸太小屋に暮らし、糧を生み出す豊かな庭をつくり育てる「弁造さん」。
ある夢を抱え生きる姿を14年にわたり見つめつづけた写真家による、心揺さぶる写文集。
写真40点収録。
「弁造さんの部屋に入ると空箱とか紙切れとか床の上を占めているよくわからないもの
を脇によけて、僕はいつもの場所に腰を下ろした。それは部屋にひとつだけある窓の前、
部屋の中央にどんと居座っているイーゼルの脇のわずかな隙間といってよい場所だった。
たった一部屋しかない丸太小屋は全体でわずか十畳ほどだろうか。
その空間のなかに食事を作るための流しと食事スペース、冷蔵庫、トイレとお風呂、
クローゼット、ベッド、薪ストーブと暮らしていくうえで必要なすべてが揃っていた。
生きていくうえで必要のないものを挙げるとしたら、それはイーゼルをはじめとする
絵を描く道具だろうか。でも、これは弁造さんにとっては、冷蔵庫や風呂などとは
比べようもないほど大切なものだった。
イーゼルは、窓からの光を一番受けやすい場所に立っていて、ベッドからもよく見えた。
弁造さんは、ベッドに腰掛けながら、あるいは横になりながら、室内でいる時間のほとんどをこのイーゼルを眺めながら過ごしているようだった。そして、イーゼルにはいつだって絵が掛けられていた。鉛筆でざらざらと描かれているスケッチブックが造作無く置かれているときもあったし、色が塗られたベニヤ板やキャンバスが重ねて置かれていることもあった。
共通しているのは、それがいつも完成していないことだった。でも、だからなのだろうか。
絵は逆に生々しく弁造さんの今という時間を伝えているような気もした。
丸太小屋に弁造さんを訪ねた僕は無意識のうちに、イーゼルに置かれている絵が
何であるのかを最初に確認するようになった」(本文より)
∂出版社からのコメント
∂内容(「BOOK」データベースより)
写真家である著者は、北海道の丸太小屋で自給自足の生活を営み、糧を生みだす庭とともに暮らす「弁造さん」の姿を14年にわたり撮影しつづけた。弁造さんの“生きること”を思い紡がれた24篇の記憶の物語と40点の写真。人が人と出会ったことの豊かさを伝える、心揺さぶる写文集。
著者について
奥山 淳志 (おくやま・あつし)
写真家。1972年大阪生まれ、奈良育ち。京都外国語大学卒業後、東京の出版社に勤務。1998年岩手県雫石町に移住し、写真家として活動を開始。以後、東北の風土や文化を撮影し、書籍や雑誌等で発表するほか、 人間の生きることをテーマにした作品制作をおこなう。
2006年「Country Songs ここで生きている」でフォトドキュメンタリー「NIPPON」2006選出、2015年「あたらしい糸に」で第40回伊奈信男賞、2018年写真集『弁造 Benzo』で日本写真協会賞 新人賞を受賞。主な著書に『手のひらの仕事』(岩手日報社、2004)、『とうほく旅街道』(河北新報出版センター、2012)などがある。
∂著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
奥山/淳志
写真家。1972年大阪生まれ、奈良育ち。京都外国語大学卒業後、東京の出版社に勤務。1998年岩手県雫石町に移住し、写真家として活動を開始。以後、東北の風土や文化を撮影し、書籍や雑誌等で発表するほか、人間の生きることをテーマにした作品制作を行う。2006年「Country Songsここで生きている」でフォトドキュメンタリー「NIPPON」2006選出、2015年「あたらしい糸に」で第40回伊奈信男賞、2018年写真集『弁造Benzo』で写真家協会新人賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
∂出版社より
写真家・奥山淳志氏が、写真集『弁造 Benzo』および写真展「庭とエスキース」により、第35回 写真の町 東川賞 特別作家賞を受賞!
〈他者を知りたい、そう思わずして写真は撮れない。でもだからと言って言葉が、写真と同じ眼差しを持つとは限らない。 奥山さんは水底で自身を問うように、一なるものをモノローグして、確かめる。驚くばかりの誠




