近くにはない。
遠くにはある。
私には実家というものがない。
もしあったなら、とっくに息子を連れて戻っていただろうか・・
10年前には、、いやもっと前には。
でも・・・
私の母は私が高校のころ、弟が小学生のころ家を出て行ったのだ。
それから父と私と弟の暮らしが始まって・・
そうあの頃も地獄の日々だった。
父は精神異常者だったから、私たちは精神的虐待を受け続けた。時には肉体的虐待も受けた。
そんな家から出たかった。一刻も早く。
でも高校生の身ではそれも無理で。
それに弟がまだ幼かったから、高校を卒業し就職した私だけが出ていくわけにはいかなかったんだ。
あの家にしばらくいた。
地獄の日々は何年間続いたのだろう?
幼いころからうちの父親は変わっている。普通じゃないというのは分かっていた。
嫌いだった。
だけど、母がいるときは、母がクッション役になっていたから、それほど被害は受けていなかったのだと後から思うのだが。
母と父はずっと喧嘩をし続けていた。
階段から落とされた母。
外に放り出された母。
走ってる車のドアから落とされた母。
そういうことでたまに捻挫などをしていた母。
お正月やゴールデンウイークが大嫌いだった。
父が仕事が休みだから。
父が家にいると・・・父が仕事から帰ってくる車の音が聞こえると、私と弟は一瞬で緊張を強いられた。
「帰ってきた!」と青ざめて、どうしようどうしよう。また怒られるまた怒られると萎縮し恐怖に震えていたから
それが長い休みが続くとなると、憂鬱でたまらなかった。
案の定、長い休みにはこっぴどく痛めつけられることが多々あった。
「もうみんなで死ぬか!心中するか!」と一家心中しようと父がしたこともあった。
そうだ。死ねばよかったのかもしれないのだ。
なのに、だれも死ななかった。。。
父と母が喧嘩をはじめる夜、恐ろしい怒号がいつも・・・聞こえてきて、私たち姉弟はそのことでいつも胸を痛めていた。
いつか、いつかこの母は出て行ってしまう。。と幼い私は思っていた。分かっていた。
きっといつか・・・母はいなくなるのだろう。私たちの前から・・・と。
何故か分かっていた。
だけど、いつのひか、あまり母と父が目立った喧嘩をしなくなっていった。
もしかしたら、母は・・・このまま家にいてくれるのではないか?
そう私が期待したこともあった。
ずっと母に捨てられる予感がしていたけど、あれは単なる思い違いで、母は・・ずっといてくれるのじゃないか?と。
母が出て行ったのは、皮肉にも私がそう思い始めたそんな矢先のことだった。
よく覚えている。母が出て行った日のこと。離婚ではない。家出だ。何度目かの。そして永遠に戻ってこないという決意の家出だった。
母がいなくなるときのことをとてもよく覚えている。
だからこそ思い出したくはない。
だけどそのとき私はほっとしていなかったか?
ああ、ようやく母が出ていくよ。
小さいころからいつ母が出ていくんだろう?と恐怖に怯えていた日も今日で終わる。
だって本当に母はいなくなるのだから、
もう、いなくなられるかもしれないという不安は消えるのだ・・と。
母が家出をし、父は、私と弟をとことんいじめるのだった。
理不尽な理由でいじめぬくのだ。
私は、そのころ入学した高校では成績はトップクラスだった。
真面目な生徒だったと思う。母の代わりに家事をして、勉強をして、週3で近所のお菓子屋でバイトもしていた。
男友達もおらず、外に遊びに出かけることもなく(友達とたまには土日、昼間会うこともあったが)
学校帰りに制服のままスーパーに行って食材を買って、夕食を作り・・・
当時、制服のままでスーパーで肉や野菜を買っている人なんて自分以外一人もいなかった。それが本当に悲しかった。
朝はみんなの朝食を作り、お弁当も作り・・とやっていた。
休みの日はとにかく掃除。
そんな私がいつもなじられた。怒られた。
萎縮し、父を見ると声が出なくなった私。
朝、起きる。
そのあと父が起きてくる。
「おはよう」とあいさつを父にしなければいけないのは分かってる。
でも出ないのだ。おはようが言えない・・・どうしても言えない。恐怖で、震えるだけ。
そんな私を見て父は面白くないのだ。ムスリとし、一言も発しない。
異様な空気・・・・・
それが臨界点に達すると父の説教が始まるのだ。
「おまえらは!朝っぱらからくそ面白くもないツラしやがって!何も口もきかない!おい!なんだその態度は!!!一言もしゃべらないで、何考えてんだ!」
罵倒され続けた私と弟。
ますます話せなくなる。ちゃんとあいさつしないと・・・何か話しかけないと・・・機嫌をうかがわないといけないのが分かってるのに、できない。
父が部屋に入ったとたん、私たちは固まってしまう。
また流れる異様な空気。父の怒りが燃える。
その悪循環。。
普通のことができなかった。
お笑い番組を見たかった。だから日曜日テレビをそのチャンネルにあわせて見ていた。
すると突然父がブチリとテレビのスイッチを消す。
「くだらねえもん見やがって!」
一瞬にして私たちは固まるのだ。
し~ん・・・・とする部屋。
「おい!この家はテレビの音がないとお通夜じゃないか!!!なんだこの家は!」
とまた怒られる。だから余計に何も言えなくなって、また怒られる。
日曜日、掃除をすると決まっている。部屋中の床をぞうきんがけするのだ。1Fと2Fと階段も。
それから洗濯もたくさんする。
私が日曜日寝坊してあわてて階下に行くとすでに父がキッチンの床を拭いている。
しまった!と思うのだがもう遅い。
父はすこぶる不機嫌なのだ。
あわてて掃除を手伝うが父の機嫌は直らない。。
私が洗濯をし、干してようやく家事が終わったと思い、自分の部屋にいくと
したから恐ろしい父の声が私を呼びつける「おい!!!○○!(私の名前)」
何かへまをしたのかと思いびくびくしながらすっとんでいくと父が般若顔して私を睨み付け
洗面所のカゴにたたんで重ねてあるタオルを指さした。
「おいこれはなんだ!!!!」
「・・なにって・」困惑する私。
「このたたみ方はなんだと聞いてるんだ!」
「え?」
ちゃんとたたんでいるように見える。
そう私はそうちゃんとたたんだはずだった・・・だけど
父の目にはそうは見えないのだ。
真四角に、きっちりと。1cmもずれてはいけないのだ。
休日、友達と約束をしていた私。
しかし父の機嫌が悪い。
出かけたいのに出かけられない。。
でも出かけたい。時間が迫る。。。
・・「友達と約束してるから出かける」勇気を振り絞ってやっとのことで言う。
父は無言のままだ。機嫌悪い態度を崩さずに。
私は父の怒りを背中に感じながら家を出る。
休日、友達と遊んでいても夕方には帰らないといけなかった。夕食の支度があるからだ。
5時には帰宅していないといけない。
しかし少し遅れてしまう時があった。
すると・・・・家に帰ると、父がすでに料理をしているのだ。
私はしまった!と思う・・・
父はもちろん不機嫌だ。
私が夕食の支度をする時間までに帰らなかったから怒っているのだ。
そのまま異様な空気の中の食事が始まる。
誰も口をきかない。きけない。
すると父が怒り出すのだ。
「おまえら!なんにもしゃべらない!会話もない!なんだこの家は!どうなってるんだ!」
そんな毎日。。
緊張の毎日の中私は生きていた。
平日、学校から帰って弟もいて、リビングでテレビを見ながらリラックスして過ごしているとき、突然父の車の音が聞こえると、私と弟は顔を見合わせ「帰ってきた!」と青くなる。
「もう帰ってきたよ!」
時計を見るとまだ19時。
「早すぎるって!」
私たちは父がもう帰ってきたということを受け入れられずにあたふたする。
しかし現実に帰ってきてしまったのだから、どうしようもない。父が来るという心の準備をする。
玄関のドアが開く。
怖い。
また不穏な空気が家の中に充満する。
不機嫌な父が家の中に入ってくる。
恐怖の始まり・・・
安らげる場所はなかったあの頃。
話を打ち明けられる人もいなかった。誰もいなかった。
そんな日々が何年か続いた。
私が就職しても理不尽な父の暴力は続いていた。
高校を卒業した弟は、父と喧嘩した際「今すぐ出ていけ!」と言われて、本当にそのまま着の身着のまま出て行った。
就職も決まってなく行くあてなんてなかった弟。
荷物も持ちだせなかったはずだ。
弟は途方に暮れて、それでもなんとかアパートつきの職場を見つけてそこへと引っ越しした。
私と父の二人暮らしになった。
それでも父は変わらなかった。私も変わらなかった。
不穏な空気はいつまでも続いた。
私もこの家を出ていきたいと思っていた。
母親がうらめしかった。
いなくなってから2年くらい経った頃だろうか。
親戚から母の居場所を聞いた。(というか父が無理に聞き出したのだ。子供にだけは居場所を教えてやってくれと。自分は絶対に聞かないからという約束で。実際父は私が母の居場所を知ったのに、それを私に教えろとは言わなかった・・・)
場所は本当に遠いところだった。そこまで逃げれば父も追ってはいけないだろうと感心するほど遠い場所。
なんでそんなところまで行けたのか不思議に思うくらい。
でもそうだ。母は不倫をしていて男の転勤先についていったのだった(これも後から知るわけだが)
母の居場所を知ったことで手紙をやり取りするようになった。
「いつか迎えに行くからね」そんな手紙を受け取ったような記憶もある。
確か出ていくときも「必ず迎えに来るから」と言っていた。
でもそんなことは全部ウソだってことも知っていた。
何度か電話したこともあった。
母のことで一番ショックだったのは電話で聞く母の声(言葉)だった。
完全に向こうの人になっていたから。
母の言葉が、九州弁になっていたのには心底驚いた。
ああ、もう全然違う空間で生きている人なんだとそのとき思った。母は自分の言葉が変わってることなんて気にしてなかったようだった。
出て行って数年経ってから、母が正式に父と離婚するために実家に突然戻ってきたことがあった。
あまりに突然だったため、私はその日留守にしていたから母に会えなかった。
父が「おまえのかあさんが今日きてた。おまえの帰りが遅いから・・母さんもう行ってしまった」と責められた。
父も諦めて離婚届にはんこをついたということだ。
私はもう大人になっていたから、やっとか・・と思ったことを覚えている。
離婚した後、母は父には内緒でこっちに(母の姉)きたことがあった。
私はおばさんの家にいる母親に会いに行った。
母と会うのは7年ぶりくらいだったと思う。
母はもう一緒に行った当時の男とは別れていて、別の人と同棲していた。
母がいなくなり、私と弟がどんなに苦労したかひどい日々を送ってきたか母に訴えた。
それを聞いた母はきっと、「ごめんね」と謝ってくれるだろうと私は思っていた。
期待していた。謝ってほしかった。
でも
謝る代わりに母が私に言ったことは「これであんたも私の気持ちがわかったでしょ」だった。
しかも笑いながら。
母の言い分だった。
あんたと弟がやられる前は、私が父さんにやられてたんだ。私がいなくなって、あの男はあんたと弟をいじめたんだね。いじめられて、あんたも私の気持ちがわかったでしょ。
それはあまりにも衝撃的すぎる言葉だった。
あの瞬間、母への思慕がすーっと冷めて行ったことをよく覚えている。
忘れられない。