アファメーションや新月の願いをやっている私。


子供にも、「おまじないだけど、紙に願いを書くと叶うんだってやってみる?」と聞いたら、「そういうのはいい」と断られた。


まあそんなもんですよね。


なので、私は一人でやってるんですが・・・

その内容。

自分のことしか願いはかなわないっていうんですが、子供のことも書いちゃってます(書き方に工夫して自分が主語になるようにしてる)


で、、なんとなくですが、子供のことは叶ってる気がするんですね。(昔から書いてるのもほぼ叶ってる!)



「友達に恵まれて楽しく生き生きと毎日を過ごせる」って

ごく普通の願いなんですが(でもそれが叶えられるのは幸せ!)今のところそれは叶っていて。


最近1カ月、寝る前に、それプラス具体的なことも書いてました。部活の種目が上達しますように。上のリーグにあがれますように(実際はもう叶ったこととして過去形で書いてる)ということを。


絶対上のリーグにあがってもらいたくて、寝る前に毎日毎日しつこく書いてたら本当にそうなったし。



そんなある日。


私が息子のベッドのシーツを替えようとしたときです。枕元にメモ帳があって「母」という文字が見えました。

気になって目を走らせたら・・・


母が自分のことを願ってくれていた。嬉しかった。これから自分は勉強も部活も友人関係も頑張る。

実力で勝つ。

母の幸せは自分の幸せ。自分の幸せは母の幸せ。

神様母につらいことがおきませんように。

なんでも母の言うことをきく。ここに誓います。


そんなことが書いてました。


もう驚愕!です。


私の寝室に入ってあの願い事ノートを見た!見られた・・・

その驚きと、子供がそれを見てこんなことを考えたという驚き。

そして、今私も同じように枕元にある息子の願いを見てしまったという驚き。


つまりお互いに見ちゃったことですよ。


もう内容には感動するやら、願いを見られた動揺やらで・・・・わけわからなくなりました。


願いを見られたのはやっぱりちょっと嫌だったってのが感情としてありました。

息子のことだけも書いてたけど、後半は自分のことも書いてたし・・・

それがちょっと人に見られたくないような内容だったし(綺麗になりたいといか若返りたいとかですw)

しかも字は殴り書きってくらい汚くて、後半読めないくらい汚かったし。。


でも、見られたことはもう仕方ない。


なんで息子は私のいない間に私の寝室に入ったのかは不明ですが、たぶん本かな~

あとは、私の部屋にはなんにもないし・・

私の寝室ベッドの頭とか枕元には本があるから、読みたいものが何かあるか探しにきたのかも??それで枕元にあるアレを見ちゃったのか~あちゃー




でも自分の願いが見られた恥ずかしさを寄せて考えると、やっぱり感動的です。


きもっ!とか思われてもいいくらいなのに。


子供が親の自分を思う気持ちを感じとって、それを素直に喜んでくれて、親の幸せを願ってくれる。


なんて素晴らしいんだろう。って思いました。


私は親に感謝とかあまりしたことがありません。むしろ憎・・・)

でも息子はこの年で、もうそれを知ってる。しかも思うだけじゃなくて紙に書き留め残してる。

わが子ながら私は頭を垂れる気持ちでいっぱいになりました。


ちなみに、息子は次の日も同じような内容をメモに書いてました。

私がしてるみたいに息子はそれを毎日書くことに決めたようです。


私は小さい頃から親が子供の世話をするのは当たり前だし、必要なものを買ってくれるのも当たり前のことだと思ってました。


自分が親になっても同じです。

中学入学のとき、制服を用意したり、いろいろ準備するものがあったり、部活の道具買ったり、お金かかりました。

あー親って大変だなって思いました。

でもこれは当たり前のことでどの親もそうしてるし、子供も特に感謝はしてなかったと思います。

私もそうだったし、当たり前のことだから感謝を求めてなかったし。(逆に感謝するような出来過ぎた子供なら困るw)


親が家事をするのは当たり前だし、お弁当作って送り迎えして、自分のものは買わずに子供のものを買って。

全部当然のことだけど、やっぱりきついときもあったり。

でもそれを恩着せするのはおかしいし。


私は、親に産んでくれたことを感謝なんてしなかった(むしろ、産んでもらわない方がよかったと今でも思う)

親が子供のことを一番に考えるのも当たり前だと思ってた(自分のこと。自分の親はそうではなかった。自分が一番の人だった)

だから子供は、特に親にいちいち感謝の念なんて持たないで生きて行くのが普通だと思ってた。

そういう感情は大人になって生まれるもんで、まだ思春期の反抗期にいる子供が、親に感謝の念を持つなんて

よっぽどのことでもないと、ないでしょうって思ってた。


でも息子はもう持っている。

それに驚かせられて敬服しました。


親のことを思って、親につらいことが起きないようにって紙に書いた。


これがどんなことか、私にはわかる。


私なんて親に早く死んでほしかったもん。それなのに今、そんな私は最高に幸せな親になっていることを実感しました。


息子は、試合に勝ったら母が喜んでくれるかな。って書いてた。

もちろんそうなんだけど。ちょっと胸が苦しくなった。


私のために勝ちたいと思ってるけど、そうじゃなくて。

自分のために勝ってほしいから。


母のために生きてほしくはないんだよ。

自分のために生きていいんだからね。


母が喜ぶために勉強がんばらなくていいんだよ。

自分のために頑張ってほしいんだ。


それにあなたが、勉強できなくても試合に負けても私はあなたを愛してるから、そんなこと本当は全然構わないんだよって。


条件付きの愛は私はもちたくないんだ。って


でも息子に「母のために」って思われてるってことは、すでに私も条件付きの愛を子供に押しつけてるかもしれない。


私はただ、息子が頑張っているから、やっぱり試合には勝ってほしいし、勉強の大切さ分かってほしいし、楽しく友達と青春してほしい。それが息子のためになるに違いないって思ってるからそう願っただけで。

元気に毎日を楽しく充実して過ごすことができたらっていいなって願った。


でもそれは、試合に勝たないとだめだとか、勉強できないとだめだとか、友達いっぱいいなくちゃだめだとかではない。


どんな形でもあなたが自分の人生を楽しんでいればそれが一番いいんです。


ありのままの、あなたを私は愛していきます。


ただそこにいてくれるだけでいいんだよ。あなたは。存在そのものが私にとっては宝なんだからって。


それを伝えて行くのが課題かな。




ありがとう、息子。

私はあなたに感謝します。

こんな母のもとに生まれてきてくれてありがとう。

あなたみたいな素晴らしい子に巡り合わせてくれて。