アメリカの思い出 | 大抜卓人ブログ「OFF AIR WITH TAKUTO ONUKI」Powered by Ameba

アメリカの思い出

見知らぬ外国の方から
ダイレクトメールが...
しばらくスルーしていたものの
気になり恐る恐る...開けて見てみると
海外のクラブDJさんのインタビューが
添付してあった。
久々の英語文章...悪戦苦闘しながら
読んでいくとDJを始めたきっかけが
僕だと書いてあった。
96年のアリゾナ州フィネックス...
あのパーティーか。


当時はブルックリン大学に
入学したのに勉強もせず(後に落第)
DJのミックステープを作っては
北米中のプロモーターにテープを
送っていた。ある日留守電に
「アリゾナのプロモーターが興味をもっている、出るか?」と

友人から連絡が。
もちろん!


6時間のフライトでフィネックスへ。
空港ではマッドマックスに出てきそうな
モヒカンと赤毛のピアスガールが
出迎えてくれた。
アリゾナの砂漠の道を抜けダウンタウン。

さらに進むと工場街に。テレビで見たことがある「スラム街」なエリア。
「な、なぜ人がいないんですか?」
「夏に外に出る奴はいないよ」
確かに痛みを覚えるほどの灼熱。
これがアリゾナ州の夏らしい。
巨大なアイス工場の中に到着。
ブーンブーンとベース音が
壁を伝って響いていた。

相当な爆音だ。
「お前はセカンドフロアで12時から」
「メインはカールコックスがやってる」
当時の僕がやっていた音楽はGABBERというオランダの高速テクノで
アメリカでやっているDJは少なかった。
僕が担当したフロアは
ディーゼルボーイとかいうドラムンベースのDJとローカルが数人。
いわゆるバラエティ枠みたな感じか。
車を降りてレコードバッグをゴロゴロさせながらフロアのある建物へ入った。
天井の高い体育館のような建物にハードテクノなビートと歓声が響いていた。
「ここは5000人ほどかな」
これがアメリカのレイブか。
巨大なフロアにすし詰めの人人人!
DJブースのステージに登ると遥か向こうまで人の波が。

「お、俺、最後にDJやったの難波クラブロケッツです」

なんて言える雰囲気ではなかった。


出番まで時間はあったがこの光景を見ておきたく

ずーっとその場に。


出番前にディーゼルボーイというDJが
「次の曲で変わるぞ」緊張した僕を見て
「お前はアメリカはじめてか?」
「そ、そうなんです!」
「Welcome to the states」
あの言葉はまだ覚えている。


緊張で指が震えながらレコードの針を置き
一曲目が「サイコパス」というギターがガンガンなった曲で

、あの時の「勝った」と思った記憶が最後で2時間の記憶は全くない。


終わってからサインを求めら れたり見知らぬ人からビールを

いっぱいおごって貰ったり、たくさんのプロモーターさんからスケジュールを頂いたり。

そこに彼もいたんだろう

。僕をあれから 頻繁にブッキングしてくれたロサンゼルスのプロモーターの

SIDという男はコーチェラフェスのチームでバリバリやっているようだ。

僕を北米プロモーターに 推薦してくれていたDJ TRONことジェフはもうこの世にいない。

もう20年もたったとはー!あの頃の自分を思い出し、また頑張らねばと思った次第です。

今から現場です。