昔は色んな所で「おすそ分け」をよく聞きました

 

作りすぎた煮物、買いすぎたお饅頭   等々

 

それらを入れ物に入れて、わが家もいただいていました

 

その入れ物は、きちんと洗ってお返しを詰めてお返しする

 

それが祖母から習ったマナーでした

 

 

入れ物を空で返さない

 

 

今でも近しい人とおすそ分けはよくします

 

(某大型店で購入したものは特に)

 

その際に言われること

 

「分け方が上手ですね」

 

いただいてくださる方が困らないよう、キレイに、丁寧に、頂いた以上を返せるように

 

心がけていることです

 

 

 

物事には「与える」とそれを「返す」で成り立っていると思います

 

家族からは「愛情」をもらい「孝行」で返す

 

学校では「知識」をもらい「対価」を払う

 

お店では「品物」をもらい「対価」を払う

 

仕事でもそうです

 

先輩は「指導」を与え、後輩は「成果」で返す

 

これが私の当たり前でした

 

しかし、中にはそうでない大人もいる事も事実です

 

常に人に「聞く」を美学とし、学ばず「頑張る」ことを成果と思っている

 

職場でこのような方がいることを知った時は唖然としました

 

会社から「対価(給料)」をもらい、先輩から「指導」をもらい

 

「成果」を返さず「成長」を返さない

 

人からもらうばかりの人には何が残るんだろう。。。

 

その人を見ていて思うことがあります

 

 

家づくりにおいて、確かに設計士へ「対価」を払います

 

そして私は「理想の家」を要望します

 

ギブ&テイクとしては成り立っていますが、果たしてそれでよいのでしょうか?

 

「頂いた入れ物は空にして返さない」

 

そこにはお返しの「品」と共に「感謝」が追加されていました

 

 

ある設計士さんがユーチューブで「施主が間取りを書くなんてもってのほか」と話していました

 

確かにその通りではあるのですが

 

それは施主の理想の家を伝えたいと思う「努力」ではないでしょうか

 

「施主はプロデューサーであれ」と書かれた本もありましたが

 

確かにその通りではあるのですが

 

一緒に作っていきたいと思う施主の「寄り添い」は対価に追加された「何か」ではないでしょうか?

 

 

私は今回の家を建てる事をサポートしてくださる方たちに

 

「対価」と共に、何を返したらよいのか

 

日々、「知らなかった事」を知る毎日に刺激を受けながら考えています