近頃、己のモノグサ癖が増幅していてブログの書き込みが久しぶりになった。

 今夜、我が家の庭へ出て「442年ぶりの皆既月食+天王星食」を見た。…とは言っても、望遠カメラを据える訳でもなく、双眼鏡を持ち出すでもなく、只時々、見に出ただけなのである(^^;。

 

 同様の天体ショーは332年後の予想であるという。

地球が誕生してから46億年。

その途方もない時の経過の最中の一瞬に、己の身体・命が存在していることは生命を与えてもらった、奇跡中の奇跡&運命と心得ているが、今夜の天体ショーに巡り合えた(?)のも同様と自分勝手に思っている。

 

 己は今夜の写真を撮っていない(^^そのための優秀な機材も意欲も欠如のため)&ネットの検索もロクにせず、僅か二つの記事から拝借した写真を添付し、久しぶりの投稿としてみたい。

 皆既月食&天王星食・20221108=国立天文台 

 

 皆既月食&天王星食・20221108=国立天文台 

 

 TBS NEWS DIG Pm06:30

 

 TBS NEWS DIG Pm07:35

 

 TBS NEWS DIG Pm08:43・月食終わり

 NHK BS テレビ 「コズミックフロント選『七夕・星月夜』」を予約録画した(ほぼ後半は放送で^^) ので明日、その録画を再生して見てみよう♪。

 

 「七夕」といえば相当の昔むかし、我が家でも(子どもが幼少の頃)実家から採ってきた笹竹に願い事を書いた短冊や市販の飾りものをくくり付け、玄関先に飾り付けたものだったが、いつの間にかその風習も途絶えている。

 

 七夕の追憶として、2009年の深谷市・七夕祭りの一景」を添付してみよう。

 ついでに、三度程出掛けた「野辺山電波天文台の一景」も張り付けてみたい。

 

 2009年・深谷市七夕祭り「お化け屋敷 1」

 

 2009年・深谷市七夕祭り「お化け屋敷 2」

 

 2011年9月6日

 

 原寸大写真が行方不明のため撮影年月日不詳(;^_^A

 

 

…それを前提に、他愛のない6月2日18時代に襲われた「降雹」状況の見にくい写真を添付し、投稿してみよう。

 この降雹の大きさは推定するに2センチメートルはあったと思う。
 お蔭?( ノД`)シクシク…で、我が家のテラスの波板に無数の穴が開き、無残な姿になってしまった(その状況はまだデジカメ中に)。

 加入している火災共済保険の約款によれば、保証対象は「20万円以上&罹災証明書を要す」とあったので、修理費用の見積を依頼する以前に申請を断念をした。
 余談になるが、家を建ててから44年で初めての経験である。

 

 農業被害も甚大で今日の新聞報道によれば埼玉県北部(我が家所在地)・東部で暫定30億円超の被害額だそうである。

昨日のNHKテレビでは道の駅岡部で、多少傷ついた?トウモロコシ「未来」を廉価で販売したところ、短時間で完売してしまったそうである。

 己もネットで販売情報を得ていたが、行かないのが正解であったようだ^^。

 我が町の風水害は己が中学生の時と成人になってからの二度、竜巻?突風?に襲われたことを思い出した。
 中学生の時には、実家の母屋から牛小屋に駆け込む際、激しい暴風雨で息ができず窒息するのではないかと思うほどの恐怖心を覚えた記憶が未だに蘇る。

 そしてまた己が成人になってからの被害は、およそ4Km離れた友人の実家(大きな農家で建物が数棟あったが)では屋根瓦が飛ばされたり相当な被害を受け、お見舞いに行った程であった。

 そう言えば中学生の頃、下校の近道の道中、岡部駅の手前に日本石油の貯蔵タンクの広大な集積所があったが、その脇の小道を雷雨に遭いながら駆け足で下校した記憶が残っている。
 その林立していた貯蔵タンクはいつの間にか近年に取り除かれ、ソーラーパネルのジャングルになっている。

 今回の「降雹」から過去の記憶を辿ってみた(-_-;)。
追伸??
携帯でとった動画は首尾悪く添付できなかった(;^_^A。
 

 無沙汰が長いとamebaでは不調が発生するようだが、今回も試してみようかな^^?。

 

 写真は、相も変わらず2022年4月2日の本庄市児玉町・小山川沿いの「千本桜・一景」&「間瀬湖畔の桜華」。

 

 千本桜・一景

 

 間瀬湖畔の桜華

 

 日本で唯一と言われる児玉町内の「日本神社」

 

 

…様子が変わっていたが、先ずは書き込んでみよう(^^ゞ。

  

 4月以前に撮った梅花や今日(4月7日)撮った桜花の写真添付は後日に行うとして、今回は3月31日に撮った「熊谷市荒川堤の桜華」と「4月2日に撮った「本庄市児玉町の間瀬湖の桜華」を添付して、ブログ投稿をしてみたい(^^;。

 

 (´;ω;`)ウゥゥ 写真のアップロードができない!。

↓過去のアップロードは残っているのに…何故?。

 

 投稿が可能か否か先ずは試してみよう(;^_^A。

その後で、後日、アップロードができない要因を探してみようガックシ(?)。  

  今夜のNHK FM 「スタン・ゲッツ特集」を聴いていたら、久しぶりブログ投稿したくなり、急遽、写真を圧縮し投稿を試みた(^^ゞ。

 では… …

 

 今月9日、かなり久しぶりに上越新幹線の本庄・早稲田駅に極近?(^^;のマリーゴールドの丘に設けられた「イルミネーション」へ行って来た。

 このマリーゴールドの丘の南一帯は、60年程前に早稲田大学に買収され、現在は付属高校や研究施設等々が設置されている。

 

 またこの丘からは、上越新幹線の本庄・早稲田駅構内が見渡せるのである。

我が家の息子達が幼かった頃には、まだ新駅がなかったが高架橋から通過する新幹線列車を見下ろしたものであった(その後、新駅が設置され、周辺では現在、開発が進展している)。

 

 そういえばかなり昔、流星群が降り注ぐ時には丘に寝ころびながら大勢の人と共に見上げたものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年は、渋沢栄一翁の生誕の地は深谷市であるので、NHKテレビ・大河ドラマ「青天を衝け」を毎週観ていた。

栄一翁が青年時代の深谷市(昭和の市町村大合併により大里郡豊里村大字血洗島から深谷市へ)の背景風景が実際とは掛け離れていたのには、チョイト違和感を感じたが…。

…では、渋沢栄一記念館公園の今年の「イルミネーション」を過去のイルミネーションと比較しながら添付してみよう(^^ゞ。

なお現在、写真圧縮に整理であるので、後日、精査?(;^_^A)し、再掲してみたい。

 

2021年12月9日のイルミネーション一景①

 

同上②

 

同上③

 

↓過去2020年12月12日のイルミネーション

 

↓過去2020年12月12日のイルミネーション②

 

↓過去2017年12月10日のイルミネーション①

 

同②

 

同③

 

 

 

 

 

 

クリスマスカード画像

 

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 県を跨いでの越境自粛の解除を幸いに2021年の最初の「想い出探し」として、数か月前に発見した39年前の1972年10月8・9日に結婚前の妻とドライブにでかけた「鹿教湯温泉・美ヶ原高原・武石峠(たけしとうげ)etc.」の写真を元にし、今月4日に行って来た。

 

 当時の20歳代初頭だった己と彼女が何故?鹿教湯温泉へ出かけたのかの所以は、当時の職場・戸籍係りの大先輩&大御所であり嘱託であった「ヤギヒゲを生やし、職場の皆から「お爺ちゃん」と慕われていた人の推薦であったことを鮮明に覚えている。

 

 当時の経路は定かではないが、「関越高速道も上信越高速道」も無かったので恐らく、隣り町を通っている国道254号線で佐久市(当時、兄弟歌手・狩人の名曲「コスモス街道」の在所)、望月町を経由したのであると思う。

 その後にも美ヶ原・霧ヶ峰・車山方面には何度かドライブをしたが、その全ては日帰りであった。

今、顧みると一般道を走っての信州への日帰りドライブは、今の己の体力からすれば驚嘆する。

 

 今回、鹿教湯温泉・美ヶ原高原・武石峠(注釈を後記に)を目指したが、何処も彼処も昔の記憶と比べその面影とは想像を絶していた。

★注釈・武石峠=鹿教湯温泉から美ヶ原高原への近道(=添付した当時の写真を参照→)は今回、最寄りの三才山トンネル(松本市へ至る)手前まで行ったが、案の定、武石峠への道は全面交通止めのため断念し、丸子町市街地まで戻っての遠回りになってしまった。

 

 では、現存している39年前の一部の写真と今月に撮った写真を比較(一部)してみよう。

 余談1:今回のドライブでは、往復の道中、車内の4スピーカーを通しジャズ三昧の一日でった♪。

そのCDは、

①ジャズライブによく行く温井先生の「大好き」

②同じく温井先生の「My Blue Heaven」

③今年購入した「角田健一ビックバンド結成30周年 無観客ライブat  紀尾井ホール2020.12.5」

④同じく「KENITI TSUNODA BIG BADO スイング エクスプレスVol.1

⑤同じく「KENITI TSUNODA BIG BADO スイング エクスプレスVol.2

⑥昔から聴いている「golden dexilando jazz 」

⑦同じく「PERFECT COLLECTION BIG BAND JAZZ 」 であった。

 

 余談2:今夜は、上記、温井先生のジャズライブが高崎市内であったのだが、行けなかった&ご案内いただいた「ライブ配信」にも到達できず、二重に不義理をしてしまった。 

 

 1972年10月9日武石峠(たけしとうげ=鹿教湯温泉から美ヶ原高原への道中)での写真

 (↑今回は全面交通止めのため断念=ネット情報では、現在はこの標識も存在しない由)

 

 

 1972年10月9日美ヶ原高原への道中

 

 

 1972年10月8日鹿教湯温泉・文殊堂での記念?写真

 

 

 2021年11月4日の文殊堂

 

 

 1972年10月8日鹿教湯温泉・文殊堂・緑橋での記念写真

 

 

 2021年11月4日の鹿教湯温泉・文殊堂・緑橋

 

 

 2021年11月4日の鹿教湯温泉・文殊堂の紅葉

 

 

 2021年11月4日の美ヶ原高原美術館

 

 

 2021年11月4日の美ヶ原高原美術館内

 

 

 2021年11月4日の美ヶ原高原美術館からの展望(一景)

 

 

 2021年11月4日の美ヶ原高原美術館の道中の紅葉(一景)

 

 

 

 昨日、NHK FM の『今日は一日 “ サッチモ 〟三昧』に幸運にも偶然に遭遇し、また心地よい晴天に触発されて、久しぶりに隣り町の本庄市児玉町へ散策ドライブに出掛けた。

 

 放送は、ルイ・アームストロングの生誕120年・没後50年を記念し、午前0時15分から午後9時15分までの超ロングタイムの放送時間であったが、家の中や散歩中には携帯ラジオにイヤホンを繋ぎ、両耳から&車内ではカー・ステレオラジオ?の4スピーカーの音量を上げ、昔懐かしい「サッチモ」の小気味よい音とリズムを堪能できた♪。

 

 ほぼ8時間30分の長時間が物足りないと思え「サッチモ」の類まれな偉大さを改めて実感した。それと共に今回は、NHKの度量の大きさを感激した。

 

 それでは、心地よいスイング?を楽しみながら撮った、隣り町出身の『塙 保己一先生』の旧宅、秋山地区の「曼殊沙華(ヒガンバナ)」、日本に三か所しかないという「百体観音を収めた・さざえ堂」、間瀬湖の圧縮写真の数枚を添付してみたい。

 

 なお、『塙 保己一先生』は1746年5月5日生誕、7歳の時に病により全盲失明、15歳で江戸へ出て国学者として…国学・国史を主としたあらゆるジャンルの文献を収めた一大叢書『群書類従』を編纂。

群書類従なくしては日本文化の歴史を解明することは不可能だ、と言われているそうです。

 また聴力、言葉、視力を失った「ヘレン・ケラー」は、心から尊敬し、「塙先生こそ私の生涯に光明を与えてくださった大偉人です」と語っていたそうです。

 

 塙 保己一先生の肖像画

 

 塙保己一先生の旧宅

 

 1921年4月(没後100年)に建てられた記念碑

 題額=渋沢栄一(翁)・撰文=東京帝大名誉教授・芳賀矢一(先生)

 

 児玉町秋山の曼殊沙華

 

 児玉町秋山の曼殊沙華の群生=行く時期が遅過ぎて残念(;^_^A

 

 百体観音・さざえ堂=日本で三か所のみ=さざえ貝状に百体を収めている

 

 間瀬湖=春は桜、夏は釣り、秋は紅葉で賑わう

 2020 東京オリンピックの閉会式!。

 会式直後、古関裕而さん作曲の「1964年開催の東京オリンピックマーチ」がオープニングで流れた♪。

 全く予期していなかったので大いに感激し、思わず涙腺が緩くなると同時に、己のまだ若き日の思い出が脳裏を駆け巡った♪。

 

 当時、そのオリンピック翌年の春、高校の新入生のクラブへの誘いの演説(?)を体育館舞台で行った際、吹奏楽部の己は「オリンピック・ファンファーレそれに続くオリンピック・マーチ」により各国選手団が入場した、あの感激した情景を訴えたのであった。

 

 己の学年までは部員は全て男子、翌年は女子はたったの二人、翌々年には男女各半数と、徐々に女子の入部の割合が多くなり始めた頃であったようである。

 

 近年に見付けだした当時の学友との写真「秩父・武甲山への登山?」の一枚を張り付け、久しぶりに深夜の投稿としよう。

 (蛇足:そのメンバーとは高校二年生の時には「長野県・別所温泉」、卒業旅行で「伊勢、南紀・白浜」」へ出かけ、現在も七人の親交は継続をしている。

 しかし、昨年の一月の会食時に決めた「群馬県・渋温泉」へのドライブ旅行は、新型コロナの影響により延期中である。)

 

赤目修正等はしていないが、大昔の写真でもありまた、圧縮したので人物解明はできなと妄想し…