昨年5月以来、私の唯一人の憧れの人が卒業した。


もう、昨夜限りでお会いできない…と考えると、今まで感じたことがないような非常に淋しい気持ちに陥った。



 その人の卒業日程が決まってから、私が切望する予定日時を申し出ていたのであるが、憧れの人のご好意によりその全てを許容いただき、その全てにおいて至福の時を過ごすことができた。


 そして昨夜、卒業日の最終枠には、心からの祝福をお伝えでき、思い存分に幸せ感を満喫できた。(何時までもご一緒したいと思っていることから比較すれば、物足りないが、欲を言えば切りがないので、満足すべきである。)


 私が、咄嗟に最終枠を切望したのには上記の他に、二段構えの願望があり、その願望が叶ったときを見越し、家を開ける算段を整えていたのであった。


一つ目は、卒業式を終えれば、属していた規律から解き放たれ自由な身(?もともと自由であったが)になるので、憧れの人のお宅の最寄り駅まで車でお送りしたい。


二つ目は、上記のお送りが無理であったなら、門出で卒業のお見送りを祝いたい。


 しかし当然ではあるが、一つ目の願望は、受け入れられることはなく、「その気持ちは嬉しいのですが…」と、辞退されてしまった。

そして二つ目は、私に勇気がなく、言出すことができなかったのである。


 お会いしてる中で、私が「貴女に再会できないのは悲しい…」と訴えると、憧れ人は「貴方が私に巡り会えたように、幸運であれば再度、会える…」と言うのである。

 私は思わず「そんなことは絶対にあり得ない…」と言うと「奇蹟が起きれば会えますよ♪」と言うが、絶対にそんな奇蹟が起きるはずは無いのは確実である。 

 

 私の儚い願いが叶うとすれば、憧れの人に悩みが生じた時、もし私にその悩みをブログ等で打ち明けてくれる奇蹟が起きたとき、だけである。


 そう言えば、私の他愛ない偶然であったが、昨年の春、地元の古代蓮公園で「亀が陽春の日差しを浴びながら『甲羅干し』をしていた写真を撮った」のであるが、先日もしやと思いながら同じ場所に行ってみると、多分同じ亀と思われる亀が『甲羅干しをしていた』のを偶然にも発見し、カメラに収めた。


 憧れの人との奇蹟の再会と、その亀との「偶然の再会」とは次元が異なるのは明らかであるが、昨年と今年の亀のスナップを添付して、憧れの人との奇蹟を切望することとしよう。 



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