こうならないように!

こうであるように!

今のように穏やかで元気でいられますように!

 

健康意識と神社などで手を合わせる瞬間は、

実は同じことを意識しているのでは?と思ったりします。

 

保険や発症後の手術や薬を否定するわけではありません。

お金がもらえるかもしれませんし、

お見舞いなどで誰かが心配してくれたりもあるでしょう。

 

ピンチはチャンス!

そんな言葉もありますからね。

 

 

一方で、

元気だったらできることはもっとあった。

災害に被災しなければ、もっと他のことに時間とお金を使うことができた。

 

いわゆる、ピンチや不幸な出来事は、

糧にすることもできますが、

自ら不幸に向かっていくことはどこか話がズレてきていると思うのです。

 

 

元気でいることに時間とお金を費やすことはどういうことなのか?

災害や不幸を回避できるよう祈るとはどういうことなのか?

 

 

日本では約半分の方がガンでなくなるようです。

また、後期高齢者が認知症などを発症する割合も増えています。

介護の有無も同様です。

 

この方々は、決して、

特別な生活をしていたのではなく、

ごく一般的な今の日本人の生活をしたその結果なのです。

 

つまり、ごく一般的な生活を、

周りの多数派の方と同じような生活をすることは、

ガン発症、両親の認知症、介護などを、

ある意味で、

予定通り迎えるための準備を順当に進めていることかもしれません。


なぜなら、「普通」の人がその結果になりがちだからです。

 

 

「神社で祈る」

それは古い風習ではなく、意識を何に向けるか、

何に感謝するか、

そのための時間を持つことであり、

その後の行動を改めて設定し直す方法だと思います。

 

家族を大切にしたい、と思い起したり、

日々に感謝できたり、

もし、災害時に奇跡的に救われれば、

神社に参拝したことのご利益を直接的に感じたりもします。

 

 

「サプリを飲む、運動をする」

その結果、流行り病に翻弄されず、アレルギーに見舞われることもなく、

元気に、ポジティブに予定をこなすことができた。

そこで、改めてこれまでの自分の健康意識と行動とその情報に感謝と安堵を得ることができると思います。

 

 

未来に起こることを良い方向に向けるために、

そのために、今、そのための行動をする。

 

少し高い抽象度で見ると、

2つの遠い行動は実は同じ起源かもしれません。