「脳は主語を認識しない」

「思考は言語で行われる」

 

誰かを責めたり、愚痴を言う時、脳内では、

・誰かを責める

・あなた自身を責める

ここの違いを認識できません。

 

しかし、脳内で唯一の真実は、

「ネガティブな言葉が脳内に残る」ということです。

 

言い換えれば、

誰かを否定したつもりが、

自分を否定したと脳が認識してしまうということです。

 

「言霊」というとスピリチュアルな要素がありますが、

脳内の認知化化学的な現象として言霊と似た効果が起きうるのです。

 

また、言葉にした場合、

「あなたは愚痴を言った」

という事実が他者の中に残ります。

 

 

YouTube、tiktok、切抜き動画などのコメント欄で似たコメントが現れることがあります。

・ぶりんばん→「R指定の凄さがわかる!」

・晩餐会→「これで中学生!?」

・プロの音楽→「これ、無料で見れていいの?」

 

同一人物が各動画に同じコメントをしている可能性もありますが、

現実的な可能性としては、

「どこかの動画で見たコメントを別の人がまた他の動画でコメントしている」

といったところでしょう。

 

このリスクは何か?

冒頭に記載した「脳は主語を認識しない」ということです。

 

あなたの本当の感想や価値観は違っていたかもしれないのです。

自分が何を望んで、何を嫌っているのか、

このことに迷子になってしまっては自分の気持ちがわからなくなってしまいます。

 

 

言語を使わず、今日の一日を振り返ってみてください。

不可能なはずです。

電車、朝食、道中、天気、、、

これらを目で見たとはいえ、脳内では言語として認識しています。

 

言葉が認識を変える以前に、

言葉で情報が整理されている。

 

 

 

危うさがあるようで、

実はシンプルなことだと思います。

 

「良い言葉を使う」

 

なぜなら、脳は主語を認識しないが言葉を認識し、

思考は言語あってこそだからです。

 

 

認識と思考をどんな言葉で満たすかは、

自分で選べる。