ベンチャー、やりがい、社長が魅力的、理念、、、

わかる❗️
すげぇことに関わってる気がするから。
なんか大企業とかで、ちょっとした1パーツじゃなく、
『俺❗️』ってものを感じられるような。

でもね、話は非常に基本的な当たり前なことに立ち返る。



▪️やりがい教育
結果より過程❗️
そんな言葉を聞くことは多いし、大切なのもわかる。

ちゃんとした過程があるから、結果がついてくる
だろうから。

重要なのは、
結果より過程❗️とは、
結果を無視して過程に集中することではない。

結果ありきの過程であるということ。

これと似た表現が
『やりがい❗️』
だったりする。

お客様の笑顔が〜
完成した時には〜
注文取れた時は〜
とかとか。

悪いことではない❗️
そんなことはわかってる。

けど、
やりがいがあればOKか⁉️
と聞かれれば、
答えは間違いなくNO‼️

にも関わらず、
やりがい❗️
って言葉を使えば、
あたかも全てが丸く収まってるように使われてる。

それは企業がそう説明会などで伝えてるし、
親や学校も同じようなことを伝えているから。

小さい頃からそんなことを聞いてたら、
そりゃ『やりがいがあるからOKだ❗️』って判断もしてしまうかもしれない。


▪️仕事におけるやりがいの立ち位置
仕事はなぜするの?
その問への回答は、
『生きていくため❗️』
そう答えるだろう。

というか、それ以外の本質的な目的はないはず。

『仕事をする❗️⇨生きていける❗️』

現代では、多くの人が
仕事をする❗️=企業に勤める❗️
となるけど、

話を敢えて原始時代に戻すと、
やりがいを優先することの違和感を理解しやすい。

原始時代、生きていく為には、
『狩りをする。(食べ物を得られる)→家族や自分が生きていける。』
この流れだった。

つまり、
『仕事→生きて行ける』
という話に置き換えるなら、
原始時代は狩りこそが仕事となる❗️

だとすると、
仕事にやりがいを感じることを原始的に言うと、
『動物殺すの、マジやりがい〜✨』
となる。

相当猟奇的だよね。笑

じゃ〜やりがいは無い方が良いのか?
そんなことはない❗️
狩りが苦痛で苦痛で、どうにもやってられない❗️よりは、少しのポジティブな考えもあって良いと思う。

▪️やりがい教育の弊害
本来、仕事は生きていく為にする。

表現を少しロマンチックにいうなら、
『こんな人生にしたい❗️』
その手段が仕事となる。

海外だと、給料が良い❗️
というより、
割に合ってる❗️

しかし、日本はお金で人材を惹きつけることが、
もはや困難になっている。

そんな時に、
お金とは関係なく、かつ、人を惹きつける要素こそが、
『やりがい❗️』

つまり、
『金金言うなよな❗️楽しいだろ?面白いだろ?』
って。

お金を考えることがそんなに悪いことなの⁉️

原始時代で例えるなら、
ネズミもマンモスも立派な狩りの成果❗️
現代は、狩りと生きる間に、食べ物をお金で変換しているだけ。

家族5人なのに、
ネズミだけでやりがい❗️
とか言ってたら、馬鹿野郎でしょ⁉️笑


▪️仕事をどう選択する?
となると、どう仕事を選択するかというと、
スーパーシンプルな話、

どんな人生にしたいの?
という問への回答から話は始まる。

こんな人生にしたい❗️
→だから、この仕事をする❗️
→すると、なりたい人生になった❗️

シンプルな話だ。

でも、重要なのは、
こんな人生にしたい❗️
ってのを自分自身が理解、表現しようとしないと、

究極、どんな仕事でも良くなったり、
ただただストレスが溜まるだけになる。

マラソンで速くなるためにしんどい練習をするのは、

しんどいことが好きだからじゃない❗️
速くなりたいから、その為にしんどいこともする❗️

まず、目的があって、
そのための手段を選ぶ。


つまり、問うとすれば、

何の為に
(何の目的の為に)
(どんな人生にしたくて)
仕事をしてる?

その目的を叶える為に、
その仕事は本当に合ってる?

目的があれば、
仕事を探すことは、
生き方を探すことと同義になる。