今、勤めているところで
「普段の皆さんの気づきや気になっていることを共有できればと思います!」
的なことで、
当番制のブログみたいなことがスタートした。

僕はこうやってアメブロを書いたりすることで、
その派生で書けるから、ほぼ負担のない話。

で、そしたら、ある部長さんの投稿が

「この活動について意義や有益性を感じませんので以後、参加は辞退させて頂きます。
プライベートでSNSを利用されている方も多いと思いますし、
自分自身も情報収集としてTwitterやFacebook、instagramなどのアカウントは持っていますが、
感想の押付け・情報の押売り・知識のひけらかし、みたいなことにでうんざりです。」

なんて仰ってるけど、
それはそれで不思議な話だな~って思うんだよね。
ちなみに、開始2日目の話。笑

そして、キャラ的にみんなノータッチで当番制は進行中。

 

そんな受身にならなくても~って思う。

情報を取ることは主体的であって、

受動的な行動ではないと思うんだよね?

 

「情報を取る!」であって、

「情報を受ける!植えつけられる!」って話ではないんじゃない?って。

 

ただ、学校や親を決められない子供にとっては、

後者ではあるかもしれないけど、

それでも、子供はスマホ上のSNSにおける情報選別はもうお得意じゃないかな?



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情報リテラシー(じょうほうリテラシー、information literacy)とは、
情報 (information)と識字 (literacy) を合わせた言葉で、
情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことである。
「情報活用能力」や「情報活用力」とも表現するが、
文部科学省が定義する「情報活用能力」とは意味合いが異なる。

また、"情報=IT"との連想やインターネットの利用時において
情報リテラシーが要求される等の理由から、しばしばコンピュータ・リテラシーと混同される。
しかし、以下に定義されるように、本来必ずしもコンピュータと直結するものではない。

wikipedia
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似たような話でもないけど、

例えば、1つの事柄について、
“A”と言う人がいて、“B”と言う人もいる。

折角、相談したのに、逆に、迷って、悩んで、やや憂鬱気味になる人もいる。
偏見かもしれないけど、ダメ男を引く女の子はそんな傾向にある気がする。笑


でもね、どう捉えたりしても良いんじゃない?って思わない?
都合よく認識して良いんじゃない?って思うんだよね。

もちろん、どこからどう正確な情報を取るかは重要だけど、
その上で、何をチョイスするかは自由だと思うんだよね。
そこに関して制限があるとしたら、それは自分で作ってる制限だと思う。


言うなら、ランチバイキングみたいな。
野菜嫌いなら食わなきゃ良いじゃん!って。

「嫌いな野菜がいっぱいあるの~」
って萎えてる人いたら、、、引いちゃわない?笑

その萎えることになんの意味があんの?って。
で、そのテンション低いの共有して、どうしたいの?って。

で、仮に、その野菜が

「ハンパないオーガニックで、栄養価最強で、

理論上、マジで健康でいれる野菜!」
であっても、嫌いなら摂んなくて良いんじゃない?って。

 

でも、

「ずっと健康で、死ぬ直前まで元気でいたい!

寝たきりなんて、普通に無理でしょ!!」

ってんだったら、

 

じゃ~食ったら?

って話になる。


正確な情報源から情報を得ても、

自分の選択がミスることはあるのかもしれない。
けど、そんなんその時の最高の選択なんだから良いじゃんって。